競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第80回。今回は、海外長期遠征を敢行したダービー馬「シリウスシンボリ」について熱く語ります。
第52回ダービー馬
海外遠征の先駆者
2023年の今年、第90回という記念のダービーが開催された。そのためか、JRAによる企画展示や映像、グッズをはじめ多くの競馬メディアでは歴代ダービー馬を振り返る特集を目にする機会が多かったように思う。
90頭の歴代ダービー馬に名を連ねる一頭、第52回ダービー馬シリウスシンボリ。今回は、ダービー馬となったのちに、およそ2年にわたる長期ヨーロッパ遠征を敢行した海外挑戦の先駆者シリウスシンボリの史実を追っていく。
仔馬時代
血統
シリウスシンボリは父モガミ、母スイートエプソム(父パーソロン)という血統。父モガミは、フランスで走っていた現役時代にシンボリ牧場の和田共弘氏とメジロ牧場の北野豊吉氏が共同所有していた。そして引退後に日本で種牡馬となり、初年度産駒からいきなりダービー馬シリウスシンボリを送り出し、2年目の産駒から三冠牝馬メジロラモーヌと立て続けに名馬を輩出した孝行者である。
シリウスとルドルフ
1982年にシンボリ牧場で産まれたシリウスシンボリ。同牧場産まれの1つ上にはシンボリルドルフがおり、仔馬時代には一緒に過ごした間柄でもある。ウマ娘でも二人は幼馴染みという設定で、互いに強く意識する様子も窺える。
同じシンボリの勝負服で走った1歳違いの二頭の名馬。ウマ娘ではシリウスシンボリの勝負服はまだお披露目されていないが、育成ウマ娘として実装された暁には緑を基調とした勝負服を纏って競い合う二人の姿を見たいものだ。
2歳時
メイクデビュー
美浦の二本柳俊夫厩舎に入厩したシリウスシンボリは、9月の中山開催でデビュー。芝1600mの新馬戦、鞍上は同厩舎所属の加藤和宏騎手。二番人気だった。
スタートで出遅れたものの、1番人気のタカノミノブに1馬身1/4差をつけて快勝。見事にデビュー戦を勝利で飾った。
斜行で失格
続く二戦目のオープン特別、芙蓉特別(中山芝1600m)では1番人気に応えて先頭でゴールしたかに思えたが、斜行により失格処分を受けてしまう。
不完全燃焼の2着
仕切り直しとなったいちょう特別(東京芝1600m)では、新馬戦と同様に出遅れて後方から。4コーナーの勝負どころで痛恨の不利もあり、よく追い込んだもののわずかにハナ差届かず2着となった。
待望の2勝目
4戦目となる府中3歳ステークス。単勝1倍台の断然人気に支持されたシリウスシンボリは、人気に応えて待望の2勝目を挙げる。これで通算成績を4戦2勝として2歳のシーズンを終えた。
3歳時
移籍騒動
年が明けて3歳となったシリウスシンボリは思わぬ事態に巻き込まれてしまう。馬主の和田氏と二本柳調教師が、主戦の加藤和宏騎手の騎乗を巡って対立。結果的に和田氏はシリウスシンボリを転厩させてしまう。
騒動はこれだけにとどまらず、今度は当事者だけでなく厩務員組合が和田氏の行動に反発する事態となった。最終的に調教師会の仲裁と当事者間の折衝によってシリウスシンボリは二本柳厩舎に戻ることとなり、復帰戦の一戦に岡部幸雄騎手が騎乗するという条件を二本柳調教師も飲んだ。
若葉賞からダービーへ
この移籍騒動の影響もあってシリウスシンボリは皐月賞への出走を回避し、若葉賞からNHK杯を経てダービーへ向かうプランとなった。
移籍騒動後に迎えた3歳初戦の若葉賞(中山芝2200m)。シリウスシンボリは岡部騎手を背に走り、2着に2馬身、3着以下には10馬身以上の差をつけて楽勝した。
ダービーの前哨戦として使うはずだったNHK杯は脚部不安によって回避した。
日本ダービー
困難な状況を覆して勝利
紆余曲折あったものの第52回日本ダービーの舞台にたどり着いたシリウスシンボリ。鞍上には加藤和宏騎手が戻った。この年、無敗で皐月賞を勝ったミホシンザンが骨折でダービー前に離脱したことにより混戦模様になったダービーでは、押し出されるようにシリウスシンボリが1番人気となっていた。
26頭立て(当時のフルゲートは28頭)の多頭数、6枠16番に入ったシリウスシンボリはスタートを無難に飛び出して中団につけた。9、10番手あたりの外目、絶好のポジションにつけたシリウスシンボリ。向正面からレースが動き出すと、シリウスシンボリも徐々に進出を開始。大けやきを超えて3~4コーナーに差し掛かるあたりでは後退してゆく先行集団と入れ替わって早くも先頭に立つ勢いだ。
最後の直線を迎えると、後方集団にいた芦毛のスダホークがインを突いていつの間にか先頭に躍り出る。馬場の中央へと持ち出し、外から上がってきたシリウスシンボリとの一騎打ちとなる。
長い直線の中間あたりでスダホークを競り落とすと、あとから迫るものはなかった。独走態勢に入ったシリウスシンボリと加藤騎手はそのまま後続を振り切って先頭でゴールを駆け抜けた。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
2着を守りきったスダホークに3馬身差をつけての完勝。スダホークの田原成貴騎手はレース後、「相手が強かった。敗れたが悔いはありません。」とシリウスシンボリの強さを称えた。
また、プレッシャーに打ち勝ってダービージョッキーとなった加藤和宏騎手は勝利騎手インタビューで映画「ロッキー2」の名シーンに倣って妻の名を叫び、喜びを表現した。
そして二本柳調教師は騎手として第22回のダービーを制覇(オートキツ)しており、30年後のこの年に調教師としてもダービーを制覇。史上3人目の偉業を成し遂げた。
海外遠征へ
異例の長期遠征に出発
ダービー後は、英国の最高峰レースの一つであるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦することが発表されていたシンボリルドルフとともに海外遠征のプランが立てられる。
結局、シンボリルドルフは脚部不安によって遠征が取り止めになり、シリウスシンボリが単独でヨーロッパに渡ることとなった。ここからシリウスシンボリの長い欧州遠征が始まる。
欧州各国を転戦
英国へ渡ったシリウスシンボリは、まずは予定通り7月に行なわれたキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに参戦。岡部幸雄騎手を背に12頭立ての8着に終わった。
続いてドイツのバーデン大賞典で7頭立ての4着、そしてフランスに渡って2戦に出走し6着、3着となった。特にロンシャン競馬場の長距離G1レース、ロイヤルオーク賞(3100m)での3着はロンシャンの馬場に対する適性に期待を抱かせる善戦となった。
4歳時
フランスを主戦場に
シリウスシンボリは古馬になり、フランスのロンシャン競馬場を主戦場に1年を通して海外での挑戦を続行した。
4歳時の戦績は、イタリアに遠征したミラノ大賞典5着や、凱旋門賞の前哨戦フォワ賞での2着など。凱旋門賞では15頭中の14着と大敗したが、1969年に日本調教馬として初めて凱旋門賞に挑戦したスピードシンボリ、1972年のメジロムサシ以来となった挑戦の意義は、日本調教馬の凱旋門賞挑戦の歴史上でも決して小さくないだろう。
ウマ娘で同室という設定のナカヤマフェスタものちに凱旋門賞に挑んで2着という結果を残した。アウトローな二人が競い合っているシーンもよく見られるが、偉大な先輩のシリウスシンボリには一目置いているに違いない。
5歳時
2年に渡る挑戦の終わり
5歳時も春シーズンまでフランスに滞在して3レースに出走。5月にロンシャン競馬場で行なわれたG1ガネー賞7着を最後に、長い欧州遠征から帰国の途についた。
異国の地で勝利を挙げることは叶わなかったが、およそ2年間に渡って欧州4カ国の競馬場で通算14レースに出走。異例の長期海外遠征を無事に走り切ったシリウスシンボリは、後年に続く海外挑戦の先駆者となった。
帰国後
秋に2戦
帰国したシリウスシンボリは二本柳厩舎に戻り、秋に日本競馬に復帰。主戦の加藤和宏騎手を背に毎日王冠で復帰を果たした。シリウスシンボリが海外で過ごしていた間に台頭した下の世代とは当然ながらこれが初対戦となった。
復帰戦の毎日王冠では久しぶりに見るシリウスシンボリを3番人気で迎えたファンの期待に応えることができず8着。ひとつ下の世代の牝馬ダイナアクトレスが勝った。
続く天皇賞(秋)では同じくひとつ下のニッポーテイオーやレジェンドテイオーらの9着に敗れた。
6歳時
芦毛の怪物オグリキャップ登場
6歳になっても現役を続行したシリウスシンボリは、休養を挟んで夏の函館で復帰。オープン特別で2着のあと、函館記念では3歳馬のサッカーボーイに大きな差をつけられて4着となった。
そして秋、同じく3歳世代から生まれたアイドルホース、芦毛の怪物オグリキャップと顔を合わせることとなった。
毎日王冠
秋初戦のG2毎日王冠。中央入りして以来、破竹の重賞5連勝中と負け知らずのまま出走してきたオグリキャップが断然の1番人気。
そんな中、発走直前の輪乗り中にシリウスシンボリが興奮して暴れてしまい、ダイナアクトレスとレジェンドテイオーを蹴ってしまうというアクシデントが発生。これによりレジェンドテイオーは外傷を負って出走取り消しとなる。
波乱を予感させるスタートとなったが、オグリキャップが順当に勝って重賞6連勝。しかし2着に追い込んだシリウスシンボリの脚は一瞬オグリキャップをも捉えるかという勢いで、ダービー馬の力を久しぶりに見せる強いレース内容だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
なお、レース後にはシリウスシンボリに蹴られて出走取り消しとなったレジェンドテイオーとシリウスシンボリの厩務員同士が掴み合いの喧嘩になってしまったことが話題となった。
天皇賞(秋)
オグリキャップに迫る末脚で自力を証明したシリウスシンボリ。天皇賞(秋)では、オグリキャップとタマモクロスの芦毛対決に割って入れるか。伏兵候補の5番人気でレースを迎えた。
世紀の対決を制したのは白い稲妻タマモクロス。シリウスシンボリは伸びを欠いて7着に終わり、3着以下を3馬身離したオグリキャップからは大きく離され、毎日王冠で因縁がついてしまったレジェンドテイオー、ダイナアクトレスらにも先着を許す結果となった。
引退
天皇賞のレース後に骨折が判明したシリウスシンボリはこれを最後に引退種牡馬入りが決まった。
結果的に、シリウスシンボリにとって最後の勝ち星が日本ダービーとなってしまったが、シリウスシンボリの功績を簡単に数字で語ることなどできない。シリウスシンボリが歩んだ長い海外遠征の軌跡は、あとに続く日本馬の海外挑戦の礎となり、日本の競馬史に刻み込まれている。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、シリウスシンボリ。
史実のシリウスシンボリ
基本情報 | 1982年3月26日生 牡馬 鹿毛 |
---|---|
血統 | 父モガミ 母スイートエプソム(父パーソロン) |
馬主 | 和田共弘 |
調教師 | 二本柳俊夫(美浦) |
生産牧場 | シンボリ牧場(北海道門別町) |
通算成績 | 26戦4勝(国内12戦4勝、海外14戦0勝) |
主な勝ち鞍 | 85’日本ダービー |
エピソード①種牡馬として
引退後は種牡馬入りし、モガミの後継種牡馬としての期待もかかったが、目立った活躍馬を出すことはできず7世代ほどの産駒を残して種牡馬を引退した。
父モガミはシンボリ牧場、メジロ牧場を中心に芝/ダート・平地/障害など幅広い条件で多くの活躍馬を輩出した名種牡馬だったが、気性の荒さが目立つ産駒も多かったと言われる。直系の後継種牡馬こそ現れなかったが、モガミの血を引くメジロの牝系からは国内外で6つのG1を制した名馬モーリスを筆頭に、今もその気の強さと秘めた競争能力を脈々と伝えている。
なお、シリウスシンボリは種牡馬引退後は日高の牧場で30歳まで穏やかに余生を過ごした。
エピソード②同じ時代のライバルたち
ひとつ上の三冠馬シンボリルドルフだけでなく、もう一つ上の世代の三冠馬ミスターシービー、三年連続の三冠馬も期待された同世代のミホシンザン(怪我から復帰後に菊花賞を勝って二冠馬になった)と立て続けにスターホースが誕生した時代だった。
シリウスシンボリが欧州遠征から帰国したときにはタマモクロスやオグリキャップら新たなスターも現れ、競馬が最高潮に盛り上がっていた時代と言えるだろう。
エピソード③『シンデレラグレイ』にも登場
オグリキャップと同じ時代に走ったシリウスシンボリは、オグリキャップが主人公のコミック『ウマ娘 シンデレラグレイ』にも登場する。本文中で紹介した、毎日王冠でレジェンドテイオーとダイナアクトレスを蹴ってしまうエピソードを彷彿とさせるシーンも描かれており、コミック版、アプリ版ともに気の強さは共通のようだ。
今週の一枚
シンボリルドルフと勝負服で競い合う姿が楽しみだ
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