競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第70回。今回は、芦毛の怪物「オグリキャップ」について熱く語ります。
目次
芦毛の怪物
競馬ブームに火をつけたアイドルホース
引用元:JRA日本中央競馬会
オグリキャップ。平成の幕開けとともに訪れた競馬ブームを牽引した時代の寵児である。地方競馬から中央競馬へ移籍し、連戦連勝。「芦毛の怪物」と呼ばれ、最高峰のG1レースを4勝。
JRA年度代表馬にも選ばれた輝かしい戦績もさることながら、オグリキャップの真価はドラマに満ちた競争生活そのものだろう。まるでゲームか漫画の主人公のように次々と現れるライバル達と繰り広げたドラマチックなレースの数々は今なお語り継がれている。
シンデレラグレイでも大注目
ウマ娘においては、ゲーム内での活躍はもちろんのこと、コミック「シンデレラグレイ」の主人公としても常に注目されているウマ娘の一人と言えるだろう。
シンデレラグレイはオグリキャップの史実をもとにしたフィクションである。当コラムは史実を紹介する性質上ネタバレを含むことになる。史実を知ったうえで読んでも面白いということは筆者が身をもって体験済みだが、どうしてもネタバレが気になるという方はご注意を。
今でも伝説
筆者は今年、これまでにないほどに競馬場へと足を運んだ。その要因はウマ娘の効果もあって競馬熱が史上最高レベルに高まったことにあるのは言うまでもない。そして、各地の競馬場では引退から30年が過ぎた今でもオグリキャップの姿を多く見ることができた。
春の東京競馬場ではオグリキャップの特別展が開催されていたし、暮れの中山競馬場では伝説的な有馬記念の映像が流れていたのである。
それでは今年の当コラム最後の更新として、2022年の締めくくりにも相応しいオグリキャップの史実を追っていく。
出生~牧場時代
血統
母ホワイトナルビーは、オグリキャップの笠松時代の馬主だった小栗孝一氏の所有馬で、現役時代には笠松競馬(岐阜県)の鷲見厩舎に所属し8戦4勝の成績を残したのち繁殖牝馬となった。父ダンシングキャップの産駒は主に地方競馬のダート短距離~マイル路線でそこそこ活躍馬を出していたが、気性の荒い産駒が多かったそうだ。しかし馬主の小栗氏はホワイトナルビーの仔達が大人しかったこともありダンシングキャップとの交配を決めた。
ハツラツ
そうして産まれた仔馬につけられた幼名はハツラツ。産まれた直後に脚が大きく外向(外側を向いていること)しており自力で立ち上がることも困難だったという。そんな仔馬の無事と成長を願って付けられたのが「ハツラツ」という名前だった。
ハツラツは、幼い頃から食欲旺盛。与えられた餌だけでなく、牧場の良質な土壌に生える青草を存分に食べてスクスクと健康に育っていった。脚の外向も地道な矯正治療が実り、しだいに改善していった。
2歳時・笠松時代
メイクデビュー
2歳となったハツラツは「オグリキャップ(※)」と馬名登録され、笠松競馬の鷲見昌勇厩舎に入厩。
※当時地方競馬では小さいャとッが使えなかったため実際には「オグリキヤツプ」という表記だったようだ。
そして、さっそくオグリの競争生活で最初のライバルと出会う。マーチトウショウ。笠松時代のオグリキャップに土をつけた唯一の馬である。その1戦目がデビュー戦だった。
最初のライバル
1987年の5月、笠松競馬場ダート800mの新馬戦でデビューしたオグリは2番人気だった。1番人気はマーチトウショウ。デビュー前から評価の高い馬だった。そして人気どおりマーチトウショウがオグリキャップを2着に下してデビュー勝ちをおさめている。
オグリは2戦目で順当に勝ち上がると2連勝ののち、4戦目で再びマーチトウショウに敗れる。結果的には笠松時代で負けたのはこれが最後である。
マーチトウショウ
筆者はこのマーチトウショウについてほとんど何も知らなかった。生涯成績は55戦10勝。笠松時代はオグリに勝った2勝のあと伸び悩み、中央や高知競馬を転戦している。(公開当初記載されていた戦績に誤りがありました。再調査のうえ、お詫びして訂正します。ご指摘いただいた方、ありがとうございました!)
余談だがマーチトウショウの父プレストウコウはマルゼンスキーと同世代の菊花賞馬。マルゼンスキーのほか、テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスら昭和を彩った名馬たちと戦い、引退レースではタマモクロスの父であるシービークロスに敗れている。
破竹の連勝街道
実はデビュー間もない頃のオグリキャップは、蹄の内側が腐ってしまう病気を抱えていて、競馬にも影響があったと言われている。このエピソードはシンデレラグレイ1巻で、見事な比喩表現を用いて描かれている。
そして蹄が完治してからは連勝街道をまっしぐらに突き進み、破竹の8連勝を達成。この間、マーチトウショウとは5レースで対戦してすべて2着以下に下しているが、初重賞制覇となったジュニアクラウンではハナ差の接戦を演じている。
安藤勝己騎手
笠松時代の主戦騎手は、あの安藤勝己騎手。ダイワスカーレットなど数々の名馬とともに一時代を築いた名手アンカツこと安藤勝己騎手は、JRAに移籍する前は長らく笠松競馬のトップジョッキーだった。
その笠松時代のアンカツがオグリの背中に乗ったのは6戦目から。以降、7戦負けなしの成績を残してオグリキャップを中央へ送り出したのだった。安藤騎手はのちにオグリキャップについて以下のように語っている。
引用元:「優駿」
「オグリキャップがいたから中央競馬が地方馬にGI開放とかそういう流れになっていったんじゃないかと思いますし、(自身の中央移籍への道を作ってくれたのも)オグリキャップのお陰だと思っています」と述べ、自身にとってのオグリキャップの存在についても「自分の未来を切り開いてくれた馬だと思います。とても感謝しています」と述べている。
引用元:笠松けいばチャンネル
3歳時・中央移籍
中央へ
笠松競馬を席巻したオグリキャップは、当初は東海地区の地方競馬の頂点である東海ダービーを目指していたが、連勝街道を歩み始めてから間もなく中央への移籍話が頻繁に持ちかけられるようになったという。特に、地方競馬では珍しい芝のレースである中京盃(芝1200m)を快勝してからはいくつものトレード話が持ち込まれたそうだ。
馬主の小栗氏は当初オグリキャップを手放すつもりはまったくなかったが、あまりに熱心に移籍話を持ちかけた佐橋五十雄氏に最終的には口説き落とされて売却を決断。移籍させるならば馬のためにも早いほうがいいと、東海ダービーを待たずに中央へと送り出したのだった。
引用元:「名馬を読む 1/江面弘也・三賢社」
「オグリキャップの素質に惚れ込み、馬の将来のためには中央に移籍させるべきだと会うたびに言ってくる佐橋に、当時、中央の馬主資格を持っていなかった小栗の気持ちは揺らぎ、ついに売却を決心する」
衝撃の中央デビュー
そしてついに3歳の1月に中央への移籍を果たす。笠松でのラストランとなったゴールドジュニアが行われたのは1月10日で、わずか2週間程度で移籍は完了した。そして3月、地方の笠松から来た芦毛馬は中央デビュー戦で一気にその名を知られることとなる。
3月6日、阪神競馬場のペガサスステークス(芝1600m)に初見参したオグリキャップは2番人気。1番人気にはG3シンザン記念を含む目下4連勝中のラガーブラックだった。その中央の実績馬を相手に、笠松から移籍したばかりのオグリキャップが3馬身差の圧勝という衝撃の中央デビューを果たす。
先行して楽に抜け出そうかというラガーブラックを、中団待機から直線で並ぶ間もなく抜き去っての勝利は、モノが違うとしか言いようがない完勝だった。
クラシックには出られず
ここで、通常であればクラシックの有力候補として名乗りをあげるところだが、オグリキャップはクラシック出走権を持っていなかった。外国産馬でもないオグリキャップがクラシックに参戦できない理由は、シンプルだ。中央競馬のクラシック競争に出走するためには、期限までに予備登録をしなければならない。これには登録料もかかるため、すべての馬が登録するわけではなく地方に在籍していたオグリキャップからすれば当然だったのだろう。
のちに、追加登録料(200万円)を収めて予備登録をしていなくてもクラシック登録ができるようになったのだが、オグリキャップの存在が新しい制度導入に影響したであろうことは容易に想像できる。
同世代を一蹴
クラシックに出られないオグリキャップは目標とすべき大レースもなく、ならばと出られる重賞レースをことごとく勝ち進んでいく。中央2戦目の毎日杯(G3)では、初めてとなる2000mの中距離に挑戦。芝の重馬場という条件をものともせず、後方から直線一気の差し切り勝ち。このとき4着だったヤエノムテキは後の皐月賞馬である。
連戦連勝
クラシック候補を下しての重賞2連勝で、瞬く間に話題の馬となったオグリキャップはその後も連勝を伸ばしていく。中でも圧巻だったのがニュージーランドトロフィー4歳ステークス(現ニュージーランドトロフィー)。
かつて残念ダービーとも呼ばれていた(ダービーに不出走の馬による戦いという意味で)ニュージーランドトロフィーでは、ほとんど追うことなく2着に7馬身差をつけてレコードタイムで楽勝。同世代には敵なし、と言わんばかりの勝ちっぷりだった。
秋の大目標へ
ニュージーランドトロフィーのあとは、G2高松宮杯(2000m)で年上の古馬との初対決も制し、重賞5連勝。そして迎える秋、オグリキャップ陣営はいよいよ中央の大舞台G1レースを見据えて動き出す。目標は東京競馬場で行われる天皇賞(秋)。G2毎日王冠をステップに本番へ挑む王道のローテーションが組まれた。
毎日王冠
秋初戦のG2毎日王冠。安田記念2着のダイナアクトレスや、ダービー馬で海外遠征の先駆者シリウスシンボリなどの曲者を相手にここでも完勝。中央に移籍してから負けなしの重賞6連勝、笠松からの通算では14連勝という無双ぶりで天皇賞へと向かうオグリキャップに、新たなライバルが待ち受けていた。
芦毛対決
タマモクロス登場
オグリキャップが重賞6連勝で天皇賞の舞台に到達する一方で、もう一頭の芦毛が最強の座についていた。タマモクロスだ。ウマ娘ファンにもお馴染みのタマちゃんことタマモクロスは、春の天皇賞、宝塚記念を含む7連勝という驚異的な成績で古馬中長距離路線を席巻。名実ともに現役最強に君臨していた。
現役最強の白い稲妻vs地方からきた芦毛の怪物。天皇賞(秋)から始まる三番勝負は、伝説の芦毛対決となった。
芦毛対決第1戦:天皇賞(秋)
1番人気は単勝2.1倍でオグリキャップ。タマモクロスが2.6倍で続く。完全に2強対決の様相だ。レースは、鋭い差し脚が信条のタマモクロスが2番手につける意外な展開。対するオグリキャップは慌てず中団に待機し、直線勝負にかける。
レジェンドテイオーが軽快に逃げて迎えた直線。そのレジェンドテイオーを早めに捉えて先頭に立ったタマモクロス目掛けて、直線で外に持ち出したオグリキャップが襲いかかる。オグリキャップの脚色がいい。
しかしそのまま差し切る勢いで迫ると、並びかけられたタマモクロスが再び加速し、その差が詰まらない。1馬身1/4の差が縮まることなくゴール。最後はオグリキャップが苦しくて内側へ斜行してしまうほどの消耗だった。
引用元:JRA公式チャンネル
敗れはしたものの、最強馬タマモクロスに迫った内容はオグリキャップの評価をさらに高めるものだった。なお、近年では3歳馬による天皇賞制覇も当たり前のようにすらなったが、3歳(当時の4歳)で秋の天皇賞に連対したのはオグリキャップが初めてだった。
芦毛対決第2戦:ジャパンカップ
タマモクロスの8連勝、天皇賞春秋連覇という快挙で芦毛対決の第一番を譲ったオグリキャップ。三番勝負の2戦目は海外の強豪を迎えてのジャパンカップ。
当時のジャパンカップはまだ海外勢が強く、さすがに2頭の芦毛の一騎打ちというわけにはいかない。凱旋門賞馬としてジャパンカップに初参戦するトニービン(のちに日本で種牡馬入りし、エアグルーヴなど数々の名馬を輩出)を筆頭格に各国から猛者達が東京競馬場に集結した。
タマモクロスが1番人気、2番人気はイタリアから参戦の凱旋門賞馬トニービン。オグリキャップは3番人気。レースは天皇賞とは逆に、オグリキャップは前めにつけ、タマモクロスは後方待機策となる。2400mという初めての距離とペースに戸惑ったのか、オグリキャップはかかり気味に追走する。
レース中盤まで3,4番手でレースを進めるオグリキャップだったが、勝負所で一旦中団まで下がってしまうチグハグな展開となってしまった。直線を向くと、外から先頭に躍り出ようとするタマモクロス。オグリキャップは立て直してさらに外側から前を捉えようとエンジンがかかる。
しかしレース中のロスも響いたかタマモクロスに並ぶことはできず3着まで上がるのがやっとだった。勝ったのは、インコースへ切り込んで伸びた米国のペイザバトラー。タマモクロスは奇襲に屈して2着だった。
引用元:JRA公式チャンネル
有馬記念の前に
タマモクロスが年内をもって引退を発表し、芦毛対決三番勝負のラスト1戦となった有馬記念。一矢報いたいオグリキャップ陣営は、有馬記念前に初見参となる中山競馬場にスクーリング(下見)に行くほどの念入りな調整を行う。
寝藁を食べるほどに食欲旺盛なオグリキャップは冬場に太りやすく、輸送しても馬体重が減ってしまう心配がないことなどから実現した。これを聞いたタマモクロス陣営は羨ましく思ったそうで、食が細く痩せてしまうタマモクロスにとっては、スクーリングさせたくても困難だったのだ。
芦毛対決第3戦:有馬記念
そして年末の大一番、有馬記念。タマモクロスが有終の美を飾るか、オグリキャップが悲願達成なるか。オグリキャップの同世代からは、菊花賞馬スーパークリークやマイルCSを制したサッカーボーイを加えた豪華メンバーによる決戦だった。
スタートすると、オグリキャップは好スタートから6,7番手あたりをキープ。タマモクロスは後方待機の追い込み策だ。今度はかかることもなくスムーズに追走するオグリキャップは、3コーナーから最終コーナーにかけて徐々に進出。前を射程圏内に捉えて最後の直線へと向かう。タマモクロスも大外を回って上がってきている。
直線に入ると、馬群の中からオグリキャップ、その外からタマモクロスがともに抜け出してくる。先に半馬身ほど抜けたオグリキャップに並んでくるタマモクロス。タマモクロスが外から交わすのか、というところでオグリキャップが抜かせない根性を見せる。半馬身の差を保ったままゴール。オグリキャップが初めてタマモクロスを破り、悲願のG1初制覇を成し遂げた。
1988年の有馬記念は、今年の秋に展開された『競馬名勝負列伝』にもラインナップされた。【伝説の芦毛対決】オグリキャップ×タマモクロス|1988有馬記念『競馬名勝負列伝 #10』|JRA公式
引用元:JRA公式チャンネル
最後に追い込んだスーパークリークは3位に入線するも、進路妨害で失格。若き武豊騎手とスーパークリークのコンビにとっては苦い経験となったが、この翌年にオグリキャップとスーパークリーク、そしてイナリワンを加えた三頭は「平成の三強」として、新たな時代を担うこととなる。
4歳時
春のケガ
タマモクロスとの芦毛対決を終え、4歳となったオグリキャップは新たな時代の主役として春のG1戦線を戦うはずだった。しかし、大阪杯から天皇賞(春)を目指そうかという矢先の2月に右前脚の捻挫を発症し大阪杯を回避。さらに4月にも右前脚の繋靭帯炎と、立て続けにケガに見舞われてしまう。
秋の強行軍
結局、ケガの療養のために4歳の春シーズンを棒に振ってしまったオグリキャップ。ケガが癒えた秋シーズンに復帰すると、9月17日のオールカマーから12月24日の有馬記念までの約3ヶ月の間に6レースを消化するという、前例のない強行日程で春の埋め合わせをすることになる。
このハードなローテーションでもっとも議論となったのはマイルチャンピオンシップからジャパンカップという超異例のG1連闘。結果的にはこの強行軍こそがオグリキャップの怪物伝説を語る上で外せないドラマを生むのである。
オールカマー
十分に休養し、ケガの癒えたオグリキャップは、9月17日中山競馬場で行われるG2オールカマーで戦線に復帰する。オグリキャップが休んでいた春の間には、大井競馬から中央に移籍して天皇賞(春)と宝塚記念を制したイナリワンが急速に頭角を現していた。
休み明けながら1番人気の支持に応え、オールカマーを快勝。次戦は10月8日に行われる毎日王冠で連覇を狙う。
毎日王冠
笠松から中央に移籍したオグリキャップと、大井から中央に移籍したイナリワン。ともに地方競馬から移籍してG1制覇を成し遂げた傑物である。その初対決がG2毎日王冠で実現。そして未完の大器、メジロアルダンを加えたこの年の毎日王冠は、まさにスーパーG2と言える好メンバーが揃った。
8頭立ての少頭数となり、紛れのない好レースが予想された。その期待通り、レースはオグリキャップとイナリワン、2頭の地方出身スーパーホースによる史上に残る名勝負となった。出遅れ気味のオグリキャップとダッシュのつかないイナリワンはともに後方からのレース。レジェンドテイオーがリードを開いて逃げる展開となり、離れた2,3番手に芦毛のウインドミル、メジロアルダンと続く。
最後の直線。先行勢からウインドミルとメジロアルダンが抜け出し、それを外から追うオグリキャップ、そして間から一緒に伸びてくるイナリワンの4頭がいっぱいに競り合う大接戦。イナリワンがわずかに前に出る。オグリキャップも食らいつく。2頭がほぼ並んでゴールを駆け抜けた。
わずかハナ差でオグリキャップが勝っていた。
天皇賞(秋)
劇的なデッドヒートを制し、休養明けのG2を連勝したオグリキャップは、前年にタマモクロスの2着だった天皇賞へ挑む。
10月29日、天皇賞はオグリキャップ、イナリワン、メジロアルダンら毎日王冠組に加え、長期休養明けの復帰戦を勝利してきたスーパークリークに、中距離得意の皐月賞馬ヤエノムテキなど錚々たるメンバー構成となる。
オグリキャップは先行して3番手につけるスーパークリークを見る位置取りで、メジロアルダンやヤエノムテキらと4,5番手集団を形成。
そして一団が固まったまま直線に差し掛かると、進路が狭く外へ持ち出すのに手間取り仕掛けが遅れた。スーパークリークが抜け出す。熾烈な2番手争いのメジロアルダン、ヤエノムテキを外から追い詰め、クビ差の2着まで上がるのが精一杯だった。
引用元:JRA公式チャンネル
マイルチャンピオンシップ
11月19日、オグリキャップはマイルチャンピオンシップに参戦。中距離のレースが続いていたオグリキャップにとって久しぶりのマイル戦。相手は一流のマイラーである。
そして今度は、安田記念を勝ったバンブーメモリーとこれまたハナ差の名勝負を演じてみせる。オグリキャップの前にはいつも新しいライバルが現れ、そこで全力の勝負を繰り広げる。
直線で早々と抜け出した武豊騎手のバンブーメモリーがセーフティーリードを開いた、と思われたが、最後まで諦めないオグリキャップが勝利への執念を見せて内から迫る。
最後にグイッと前に出たところで並んでゴール。ハナ差で交わしていた。
引用元:JRA公式チャンネル
これがオグリキャップにとって2つ目のG1制覇となった。
ジャパンカップ
11月26日、マイルチャンピオンシップの激闘を終えたオグリキャップは1週間後の東京競馬場にいた。連闘でのジャパンカップ参戦。異例中の異例のローテーションである。常識では考えられないような強行軍だったが、そんな状況でもオグリキャップは全力で挑み続ける。
スーパークリークやイナリワン、そして海外勢を迎えての戦い。この最高峰の舞台でまたしてもオグリキャップは伝説を作る。オグリキャップは勝っていない。ニュージーランドから参戦したホーリックスという牝馬にクビ差で敗れ2着だったのだが、勝ちタイムは当時の世界レコードである。驚愕の世界レコードと同タイムでの2着は賞賛に値するものだった。
引用元:JRA公式チャンネル
実は驚くべきことに、マイルチャンピオンシップでハナ差の死闘を演じたバンブーメモリーも連闘で参戦していた。結果は13着だったが、翌年のスプリンターズステークスを勝つなどこの馬もとんでもないタフネスだった。
有馬記念
オールカマーで復帰してから、すでに5戦を消化していた。しかもそのほとんどのレースが歴史的な名勝負と言える激闘続き。さすがに疲労が見られたがそれでもオグリキャップは有馬記念に出走した。
結果は過去最低着順の5着となった。勝ったのはイナリワン。スーパークリークとハナ差の接戦をものにしたイナリワンは、この年3つ目のG1タイトル奪取で年度代表馬に輝いた。
5歳時
安田記念
有馬記念の敗戦後は連戦の疲れを癒やすために温泉療養。引退も取り沙汰されたが現役を続行することとなる。
体調の回復に時間がかかり、復帰は5月の安田記念。このレースでは、マイルチャンピオンシップではバンブーメモリーに騎乗していた武豊騎手が初めてオグリキャップに跨った。相手にはそのバンブーメモリーやヤエノムテキ。これまで幾度となく対戦してきたいずれも好敵手達だ。
オグリキャップは、休養明けとは思えない盤石の走りで完勝。2番手から抜け出す危なげないレース運びで2着ヤエノムテキに2馬身差をつけてレコード勝ち。力の衰えは微塵も感じられない強い勝ち方で3つ目のG1タイトルを手にした。
引用元:JRA公式チャンネル
宝塚記念
安田記念で完勝したオグリキャップは、続く宝塚記念でももちろん1番人気。単勝オッズ1.2倍と、断然の支持だった。しかし、オサイチジョージに敗れて2着。しかも、前を行くオサイチジョージとの差を詰めることができず3馬身半もの差をつけられてしまう。らしくない敗け方だった。
レース後には両前脚の炎症、後ろ脚の飛節(かかとにあたる部位)にも腫れを発症するなど満身創痍な状態となっていた。
不振の秋
宝塚記念2着の後、秋に備えて温泉療養などで回復に努めたものの、思うように状態が上がらずにいた。天皇賞(秋)で復帰するものの、万全の状態でないオグリキャップは伸びを欠き6着。これまでの対戦で先着を許したことがなかったヤエノムテキに敗れると同時に、初めて掲示板を外した。
そしてジャパンカップでは11着。もはやオグリキャップは急速にしぼんでしまったかのようだった。
奇跡のフィナーレ
有馬記念
「オグリは終わった」たった2戦、掲示板を外しただけでそんなふうに言われ、引退論や馬主への批判などが巻き起こっていた。
ラストラン。有馬記念への参戦が決まった。鞍上は安田記念以来2度めのコンビとなる武豊騎手。フレッシュな3歳馬メジロライアンやホワイトストーンに人気が集まる中、4番人気のオグリキャップがラストランに挑む。
笠松時代から中央での快進撃、芦毛対決、そして平成三強の存在や秋の強行6連戦。どれもがドラマチックで激動だったオグリキャップの競争生活のフィナーレは、奇跡のような結末を迎える。
中団につけたオグリキャップは、終盤に差し掛かると若き天才の手に導かれてスーッと順位を上げていく。直線の入り口で先頭に並びかけると、内で粘るオサイチジョージを捉え、ホワイトストーンを競り落とし、メジロライアンの猛追をしのぎ切って先頭でゴールを駆け抜けてみせた。
もう全盛期の力はないと思われたオグリキャップは、最後の最後にこんなドラマを起こしてみせたのである。オグリキャップの感動的なラストランを見届けたファンは17万人を超えた。暮れの中山競馬場に駆けつけたファンからは自然とオグリコールが沸き起こり、オグリキャップと背中の武豊騎手はウイニングランでその大声援に応えた。
引用元:JRA公式チャンネル
このときの映像は、今年の有馬記念開催の際にも中山競馬場で幾度も流されていた。今年で67回目を迎えた長い有馬記念の歴史の中でも、最高のレースとして人々の記憶に刻まれているのだ。
ありがとう。
最後に、JRAポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピーを見てみよう。(ポスター画像はリンク先で見られる)
引用元:JRAポスター ヒーロー列伝(No.29)
「ありがとう。」と、ひと言。なんとシンプルなメッセージだろうか。これはオグリキャップと同じ時代を生きたファン、競馬関係者、JRA、それらすべての人からのメッセージだったように思える。
そんなことを考えながらウマ娘のオグリキャップを育成していると、そのストーリーには「ありがとう」が溢れていることに気がついた。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、オグリキャップ。
史実のオグリキャップ
基本情報 | 1985年3月27日生 牡 芦毛 |
---|---|
血統 | 父 ダンシングキャップ 母 ホワイトナルビー(父 シルバーシャーク) |
馬主 | 小栗孝一→佐橋五十雄→近藤俊典 |
調教師 | 鷲見昌勇(笠松)→瀬戸口勉(栗東) |
生産者 | 稲葉不奈男(北海道三石町) |
通算成績 | 32戦22勝(地方12戦10勝、中央20戦12勝) |
主な勝ち鞍 | ’88,’90有馬記念,’89マイルCS,’90安田記念 |
生涯獲得賞金 | 8億8,830万円(中央)/2,281万円(地方) |
エピソード①
ぬいぐるみ
オグリキャップの人気は社会現象となり、老若男女問わず熱狂させた。とりわけ若い女性からの人気はすさまじく、オグリンと呼ばれ愛された。二人目の馬主だった佐橋氏が経営する会社が企画/販売したぬいぐるみは大ヒットとなり、様々なサイズのぬいぐるみが飛ぶように売れた。現在も人気商品である競走馬のぬいぐるみはオグリキャップから始まったのだ。
ちなみに筆者は今年、数十年ぶりに馬のぬいぐるみを購入した。現代のアイドルホース、白毛のソダシ大中小が寝室の天井を見つめている。
エピソード②
種牡馬として
種牡馬としては産駒のJRA重賞未勝利に終わり、期待されたような活躍馬を排出することはできなかった。初年度からオグリワンというオグリキャップの長男坊がクラシック路線に乗りかかって期待されたが、3歳以降の成績が上がらなかった。
今や血統表に名前が残ることすら難しい状況だが、オグリキャップが現役時代に残した伝説が色褪せることはない。
エピソード③
武豊騎手、有馬記念を語る
のちの対談で武豊騎手がオグリキャップのラストランとなった有馬記念について次のように語っている。
あのときは「オグリキャップに乗る」というだけでさすがに緊張しましたし、「なにか、えらいことを頼まれてしまったな」という感じですよね、引退レースですから。でも、騎乗できてすごく嬉しかったです。
あのとき一度だけなんですが、ゴールした瞬間に鳥肌が立ちました。
引用元:JRA-VANより
今週の一枚
大観衆の前に立つ芦毛の怪物。
フォトスタジオは、普段スキップしてしまうことの多いトレーニング風景などもじっくりと撮影することができる。
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