覇王世代の三強で最後の登場
アニバーサリーで本格参戦
前回のアドマイヤベガに続き、ついにウマ娘プリティーダービーへの本格参戦が発表された覇王世代の最後の一角ナリタトップロード。育成ウマ娘としての実装はお預けとなったが、サポートカード、そしてイベントの主要キャラクターとして堂々登場だ。
覇王世代の菊花賞馬
世代屈指の長距離ランナー
引用元:JRA日本中央競馬会
テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、そしてナリタトップロード。それぞれ皐月賞、ダービー、菊花賞を分け合い三強と呼ばれた。ナリタトップロードは皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞1着と三冠レースすべてで安定した成績を残した。悲願のクラシック制覇から、その後の長い長い頂点への道のり。名は体を表す。その名の通り頂点への道を歩み続けたナリタトップロードの史実を追っていく。
デビュー前
長距離向きの体型
沖芳夫調教師が、「ナリタ」の山路オーナーから「何頭かの中から1頭選んでほしい」と言われて選んだのがナリタトップロードだったそうだ。長距離レースが好きな師好みのステイヤー体型(胴長でスラッとした、薄い体型)がポイントだったという。
沖調教師の見立て通り、ナリタトップロードは見事に世代屈指の長距離ランナーに育ったわけだ。しかし引退した後のインタビューでは「あそこまで活躍してくれるとまでは・・・」と語っているように、仔馬時代には予想できなかったほどの結果を残したということだろう。
血統
父サッカーボーイはマイルチャンピオンシップなどを制した切れ味鋭い末脚が持ち味の名馬で、マイル〜2000mくらいまでを得意としていた。産駒は闘志を内に秘めて中〜長距離までこなせるタイプも多く、ナリタトップロードもレースで気性のコントロールが効くようになってからはより長い距離を得意とするようになっていった。
父は栃栗毛という希少な毛色。ナリタトップロードも栗毛の中では深みのある渋い毛色で、これもサッカーボーイ譲りだったのだろう。
2歳時
メイクデビュー
2歳の夏に沖芳夫厩舎に入厩したナリタトップロードだったが、直後から脚元の状態が思わしくなく、デビューまで探り探りの調整が続けられた。そしてようやくデビューにこぎつけたのが12月の阪神開催。芝2000mの新馬戦でデビューするも、1番人気で2着と惜敗した。騎手は沖厩舎所属の渡辺薫彦騎手。以後、ナリタトップロードの主戦騎手を務める若手ジョッキーだった。
そして12月最終週の12月27日。2戦目の新馬戦、同じ阪神芝2000mで勝利を飾った。
かかり癖
2歳時の2戦は、レース後に口の端から血が滲むほど「かかって」いたというナリタトップロード。ウマ娘でもレース中に「かかり」状態になることがあるが、馬が力んで前に前に行きたがると、騎手はそれを抑えようと手綱を引っ張る。すると手綱を口に掛けているハミという金具で口を切ってしまうのだ。
3歳時
かかり癖の矯正
3戦目の福寿草特別では、かかり癖を矯正するために「位置取りにこだわらず、折り合いに専念」という指示が渡辺騎手に伝えられた。結果は3着だったが、力を抜いて騎手と息を合わせて走ることを覚えたナリタトップロードは、このレース以降は酷くかかることはなくなったという。
重賞初勝利
4戦目はG3きさらぎ賞。ナリタトップロードにとってはやや距離が短かったが、断然人気のエイシンキャメロンを破り重賞制覇。渡辺薫彦騎手にとっても嬉しい重賞初勝利となった。
弥生賞
そして皐月賞トライアルのG2弥生賞。ここを勝てば皐月賞の有力候補に見られるレースで、のちに三強のライバル関係となる一頭、アドマイヤベガとの初対決となった。超良血に武豊騎手という話題のコンビだった。
前走の重賞初制覇で勢いに乗るナリタトップロードと渡辺薫彦騎手のコンビは、1番人気のアドマイヤベガに臆することなく、中団から早めスパートという持ち前のスタミナを活かしたレース振りでライバルに完勝。一躍、皐月賞の最有力候補に躍り出た。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
皐月賞
きさらぎ賞、弥生賞優勝から皐月賞というローテーションは、前年のダービー馬スペシャルウィークと同じパターン。人気面ではそのスペシャルウィークでダービージョッキーの仲間入りを果たした武豊騎手のアドマイヤベガ。弥生賞で破った相手が1番人気だった。
スタートすると、中団のインにつけたナリタトップロード。同じ勝負服のオースミブライトと並んで走る。アドマイヤベガは後方集団。そして5番人気のダークホースだったテイエムオペラオーも後方から虎視眈々と狙っていた。
最終コーナーに差し掛かると、うまく内に潜り込んだオースミブライトに対し、ナリタトップロードは外目を回って上がってくる。最後の直線、先に抜け出したオースミブライトがそのまま押し切るかというところへ、馬群の真ん中からナリタトップロード、その外からテイエムオペラオーが猛追。テイエムオペラオーがわずかにオースミブライトを差し切ったところがゴールだった。
レース映像
結果的に、皐月賞の着順まで前年のスペシャルウィークと同じになってしまった。ということはダービーはこの馬・・・と思ったファンも少なくなかったであろう。
日本ダービー
そして春のクラシック二冠目、世代の頂点を決める日本ダービー。ナリタトップロードは若い渡辺騎手とのコンビで1番人気を背負っていた。皐月賞を制したテイエムオペラオーは3番人気。皐月賞は6着と不発に終わったアドマイヤベガが2番人気だった。
そして、皐月賞で際どい2着だったオースミブライトを加えて四強となったダービーがスタート。中団につけたテイエムオペラオーを見る形で、ナリタトップロードとオースミブライトがやや後方。アドマイヤベガは最後方集団につけた。最後の直線、テイエムオペラオーが一旦抜け出すが、後方から追い込んできたナリタトップロードが並びかけ、交わした。
そこへ更にアドマイヤベガが襲いかかり、2頭を差し切ったところでゴール。ナリタトップロードは僅かクビ差で2着、テイエムオペラオー3着、オースミブライトが4着だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
菊花賞へ向けて
夏場は休養し、惜しくも無冠に終わったナリタトップロードは最後の一冠・菊花賞を目指す。秋、菊花賞トライアルの京都新聞杯で復帰すると、またしてもアドマイヤベガが立ちはだかる。先に抜け出したところを後ろから差されて2着となった。
菊花賞
クラシック最後の一冠・菊花賞。上々の滑り出しを見せたダービー馬アドマイヤベガが1番人気。京都大賞典で古馬と対決してきたテイエムオペラオーが2番人気、ナリタトップロードが3番人気で続く。
ナリタトップロードは、皐月賞から前走までは中団から差す競馬で惜しい結果が続いていた。そこで菊花賞では持ち前のスタミナを活かす競馬を試み、これまでより前めの位置取りにつける積極的なレース運びを見せる。道中4,5番手から早めにスパートし、後ろから猛追したテイエムオペラオーとラスカルスズカを凌ぎきって先頭でゴール。
皐月賞3着、ダービー2着と涙をのんだ春の悔しさを晴らして悲願を達成した。渡辺薫彦騎手にとっても嬉しい初のG1タイトル獲得となった。
レース映像
なお、6着に終わったアドマイヤベガは結果的にこれが現役最後のレースとなった。
有馬記念
クラシックホースの仲間入りを果たし、暮れのグランプリレース有馬記念で初の古馬との対戦を迎える。この有馬記念を当コラムで紹介するのは何度目だろうか。スペシャルウィークとグラスワンダーによる熾烈な争いとなった伝説の有馬記念だ。
2頭の古馬に迫ったテイエムオペラオーに対し、ナリタトップロードはスタートから後手を踏んで見せ場を作れず7着に敗退。デビュー以来初めて掲示板を外した。
レース映像
4歳時
長い道のりの始まり
年が明けて4歳になったナリタトップロード。年は世紀末2000年、テイエムオペラオーが無敵の覇王となる年である。
対してナリタトップロードは、そのテイエムオペラオーに連戦連敗。初戦の京都記念2着を皮切りに、阪神大賞典3着、天皇賞(春)3着とすべて1着をもぎ取っていくライバルに対し、あと一歩勝ちきれないレースが続いた。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
成績不振
秋になると更に成績を落としてしまう。初戦の京都大賞典こそオペラオーの2着と意地を見せたものの、天皇賞(秋)では重馬場も響いて5着。ジャパンカップを賞金順で除外されると、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたステイヤーズステークスも4着と波に乗れない。
乗り替わり
ここまでデビューから16戦乗り続けた渡辺薫彦騎手だったが、この年の有馬記念で乗り替わりが告げられる。沖調教師とオーナーサイドでは若い渡辺騎手を乗せ続けることに対する不和などはなかったものの、ファンや記者からのプレッシャーというものが少なからずあったのではないかと思う。
ファン投票で選ばれる有馬記念ということもあり、ついに乗り替わりとなったのだが、沖調教師が声を掛けたのは大ベテランの仕事人・的場均騎手。翌2月での引退が決まっていたため、あくまでもスポット的な乗り替わりとなり、その後は渡辺騎手のもとに手綱を戻すことが念頭にあったのだという。調教師と所属騎手、その師弟の絆を感じるエピソードだ。
有馬記念
結局、この年8戦無敗の覇王イヤーを勝利で締めくくったテイエムオペラオーに対し、的場騎手を背にしたナリタトップロードは9着と大敗を喫してこの年未勝利に終わる。
5歳時
久々の美酒
5歳の初戦、G2京都記念は3着。的場騎手との最後のコンビを勝利で飾ることはできなかった。しかし、渡辺騎手に戻った次戦のG2阪神大賞典で、久しぶりに胸のすくような快勝を見せてくれる。
中団につけたナリタトップロードは、最終コーナーでスーっと先団に取り付くと、抜群の手応えで抜け出してあとは後続を引き離す一方。2着に8馬身もの差をつけ、芝3000mの世界レコードタイムで駆け抜けた。菊花賞以来となる、実に16ヶ月ぶりの勝利だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
天皇賞(春)
渡辺騎手とのコンビで復活の1勝を挙げたナリタトップロード。天皇賞(春)ではテイエムオペラオーに次ぐ2番人気の支持を集める。しかし、やはりオペラオーに勝てない。テイエムオペラオー1着、メイショウドトウ2着。前年から変わらない1,2着馬がまたも立ちはだかった。
レース映像
落馬の不利と後遺症
この秋、ナリタトップロードと渡辺騎手にとってさらなる不幸が降りかかる。秋初戦の京都大賞典、最後の直線で大きく斜行したステイゴールドに接触され、渡辺騎手が落馬負傷。ナリタトップロードはこのレース後、体が硬直して動けないほど精神的なショックを受けてしまった。そして予定していた天皇賞(秋)への参戦は見送られることとなる。
トップロードとステイゴールド
京都大賞典では加害馬と被害馬という形になってしまった二頭だが、実はナリタトップロードとステイゴールドは血統的にも縁がある。ナリタトップロードの父がサッカーボーイであることは冒頭で紹介したが、そのサッカーボーイの母の名はダイナサッシュという。そして、ステイゴールドの母の名はゴールデンサッシュ。名前から分かるとおりダイナサッシュの仔で、サッカーボーイの妹にあたる。
サッカーボーイは強烈な末脚を武器に、勝つ時は圧勝という豪快なレースぶりで人気のあった馬。対象的に、ナリタトップロードとステイゴールドはともに善戦マンの代表選手のようなタイプなのだから、血統とは奥深いものである。
ジャパンカップ
その後もナリタトップロードの後遺症はつづき、筋肉が硬くなってまともに調教ができるようになるまでに相当な時間を要したという。天皇賞をスキップしたあとも探り探りの状態で調整され、ジャパンカップへ参戦が決まった段階でも沖調教師は半信半疑の状態だったそうだ。
そんな状態だったが、後方からよく追い込んで3着。勝ったジャングルポケットと2着のテイエムオペラオーには差をつけられたが、因縁の相手ステイゴールドには先着してみせた。
有馬記念
5歳最後の有馬記念はマンハッタンカフェの10着に沈み、3年連続で掲示板を外す大敗。この馬にとって暮れの中山は相性がよくなかったようだ。
6歳時
復活の兆し
テイエムオペラオーとメイショウドトウが揃って引退したこの年、ナリタトップロードは現役を続行。そして初戦から京都記念を勝ち、つづく阪神大賞典ではジャングルポケットを下しての勝利。G2連勝の勢いのまま天皇賞(春)へ向かう。
天皇賞(春)
3年連続の参戦となる天皇賞(春)。過去2戦はともに3着。この馬らしくあと一歩のところで届かない善戦止まりのレースだった。そして、絶好の臨戦過程で臨んだナリタトップロードは、3度めにして初の1番人気。これまで同世代の強力なライバル達、そして最強世代とまで言われる下の世代に揉まれながら善戦と大敗を繰り返し、それでも王道のG1戦線で頂点へ挑み続ける姿には多くのファンがついていた。
レースはマンハッタンカフェ、ナリタトップロード、ジャングルポケットの三つ巴の様相。3頭がいずれも中団に位置取る。最終コーナーで仕掛けて外を回って上がっていくナリタトップロードに対し、内にコースを取ったマンハッタンカフェと、外から追い込むジャングルポケット。
先に抜け出したマンハッタンカフェに、ジャングルポケットとともに追い込んで迫るナリタトップロード。結局この2頭に競り負けて3着となったが、見ごたえのある好レースだった。
レース映像
これで天皇賞(春)は3年連続の3着。ナイスネイチャが有馬記念で作った記録と並んで珍しい記録の達成となった。
最後までらしく
この年は、2つ目のG1制覇に本当にあと一歩のところまで迫ったが、最後まで手が届かなかった。
秋は京都大賞典を快勝し、当時の記録となる5つ目のG2勝利。いい状態で臨んだ天皇賞(秋)は中距離路線を引っ張る存在となるシンボリクリスエスに惜敗の2着。東京競馬場の改修のために中山での開催だったのは、中山競馬場と相性のよくなかったナリタトップロードにとっては悪いめぐり合わせだったかもしれない。
この秋は、京都大賞典からジャパンカップまで四位騎手に乗り替わりとなっていたが、最終戦の有馬記念では再び渡辺薫彦騎手に戻る。これが引退レース。栄光と苦悩をともに経験してきたコンビを、ファン投票1位という形で後押ししたのは他ならぬファンの声だった。このもどかしくも応援したくなる人馬には時に厳しい意見もあったが、最終的にはやはりこのコンビで見送りたいという温かい声援が多数を占めた。
レース映像
結果はシンボリクリスエスの4着。劇的な引退レースとはならなかったが、最後までこの馬らしく相手なりに一生懸命駆けた結果だった。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、ナリタトップロード。
史実のナリタトップロード
基本情報 | 1996年4月4日生 牡 栗毛 |
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血統 | 父 サッカーボーイ 母 フローラルマジック(父 Affirmed) |
馬主 | 山路秀則 |
調教師 | 沖芳夫(栗東) |
生産牧場 | 佐々木牧場(門別町) |
通算成績 | 30戦8勝 |
主な勝ち鞍 | ’99菊花賞 |
生涯獲得賞金 | 9億9,011万円 |
エピソード①渡辺薫彦騎手
ナリタトップロードと渡辺薫彦騎手
ナリタトップロードの主戦騎手を務めた渡辺薫彦騎手は、トップロードとともにクラシックを戦った1999年当時は騎手6年目のシーズンだった。父が沖芳夫厩舎で厩務員を務めていた縁もあり、競馬学校卒業後に沖厩舎の所属騎手となる。デビュー年から地道に勝利を重ねていったが、ナリタトップロードと出会うまでG1レースはわずかに2度の騎乗経験(いずれも二桁着順)で重賞レースも未勝利だった。※(読者からのご指摘があり誤りのあった騎乗経験の記述を訂正しました)
引用元:JRA日本中央競馬会
沖厩舎に入厩したナリタトップロードに所属騎手の渡辺薫彦騎手が騎乗するのは自然な流れだが、これだけの活躍馬にまだ実績と経験の乏しかった騎手が乗り続けられた裏には沖調教師との師弟関係、馬主の理解、何よりナリタトップロードとの絆があったからに他ならない。
ダービーでアドマイヤベガに惜敗したレース後、人目をはばからずに嗚咽を洩らして涙を流した。そして菊花賞で悔しさを晴らす会心の勝利。渡辺薫彦騎手にとって初めてのG1勝利であったが、これが彼の騎手生活で唯一のG1勝利となった。途中、幾度かの乗り替わりを経て引退レースの有馬記念でナリタトップロードに渡辺薫彦騎手が騎乗すると決まった時、多くのファンがこのもどかしくも愛おしい名コンビの復活を喜んだものだ。
エピソード②頂点への道
想いはひとつ、頂点への道
JRAポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピー。(ポスター画像はリンク先で見られる)
引用元:JRAポスター ヒーロー列伝(No.53)
テイエムオペラオーのポスターが制作された2000年から2年後、ナリタトップロードも映えある「ヒーロー列伝」に選出された。そのキャッチコピーは、まさにナリタトップロードの競争生活そのもの。渡辺薫彦騎手とともに、ファンの想いを乗せて頂点(トップ)への道(ロード)を歩み続けた軌跡である。
エピソード③種牡馬として
短かった種牡馬生活
引退後、種牡馬となったナリタトップロードはわずか3世代の産駒を残して早逝してしまった。初年度産駒からはダイワスカーレット、ウォッカと同世代のオークス2着馬ベッラレイアなど活躍馬を出していただけに残念でならない。
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菊花賞 | 天皇賞(秋) |
エリザベス女王杯 | マイルチャンピオンシップ |
ジャパンカップ | 有馬記念 |
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