競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第74回。今回は、常識破りの走りでクラシック三冠を達成した「ミスターシービー」について熱く語ります。
目次
常識破りの三冠馬
待望の実装!!
ウマ娘プリティーダービーのリリース2周年に合わせてついに実装されたウマ娘、ミスターシービー。すでにサポートカードや他のキャラクターの育成ストーリーなどでは登場していたが、育成ウマ娘としては待望の実装となった。
数々の名馬が登場するウマ娘においてもシンボリルドルフと並ぶレジェンドであるが、同じ三冠馬でもまったく異なるタイプの二人。モデル馬の史実でも、スキのない競馬で安定感抜群に三冠を達成したシンボリルドルフに対し、ミスターシービーはことごとく常識破りなレースぶりでクラシック三冠を達成した。
天衣無縫
追い込み脚質
ミスターシービーの特徴は何と言っても、見るものを魅了する豪快な追い込み脚質だろう。それも、単に最後方から直線一気というレースだけでなく、仕掛けどころと進むコースは自由そのもの。天衣無縫と表現された唯一無二の三冠馬、ミスターシービーの史実を追っていく。
血統の物語
運命的な父と母の物語
ミスターシービーの父は天馬トウショウボーイ。人気・実力とも伯仲した貴公子テンポイントやグリーングラスとともに三強時代を作った名馬である。
そして母シービークインもまたトウショウボーイと同じ時代に走り、オークストライアルや毎日王冠を勝ったスピードのある活躍馬だった。
そんなトウショウボーイとシービークインは、1976年1月31日に東京競馬場で行われた芝1400mの新馬戦でデビュー。トウショウボーイが快勝したレースでシービークインは5着という結果だった。同じレースに出走したのはこれきりだったが、ともに引退後に交配することとなったのである。
そして産まれたシービークインの初仔がのちの三冠馬ミスターシービー。シービークインはトウショウボーイとの間に産んだこの牡馬のあとは一頭も出産することができず、ただ一頭だけ産んだ仔がミスターシービーという運命の母である。
命名 Mr.CB
運命に導かれるように産まれたシービークインとトウショウボーイの仔は、オーナーブリーダーの千明牧場(Chigira Bokujou)の頭文字からとったCBという冠名に、牧場を代表するような馬に育ってほしいという願いを込めてMr.CB~ミスターシービーと名付けられた。
このミスターシービーという馬名は実は二代目で、先代のミスターシービーもかつて第6回のダービー(二代目シービーが産まれる40年以上も前)で逃げて10着など活躍馬だった。
なお、「シービー」「千明牧場」と聞いてピンときたトレーナーの皆さんは鋭い。「白い稲妻」の異名でファンの多かったシービークロス(タマモクロスの父)も同牧場の生産馬である。
仔馬時代
ミスターシービーの美しい馬体は評判になるほどで、またどちらかというと華奢な体型ながらも柔軟性のある筋肉を備えており早くから素質を見込まれていた。管理した松山康久調教師をはじめ、ミスターシービーを見た誰もが認める美形でもあったという。
2歳時
メイクデビュー
2歳の11月、東京競馬場の芝1600m新馬戦でデビュー。鞍上にはこの先引退までパートナーを務めることになる吉永正人騎手。前評判から1番人気に指示されたミスターシービーは、スタートを決めて先行策をとると、そのままあっさりと後続を突き放して5馬身差で勝利した。
なお、母シービークインの交配相手にトウショウボーイが選ばれた理由のひとつは、父母のスピードを受け継いだ快速逃げ馬をつくりたいという生産者の狙いがあったという。このデビュー戦ではスピードを活かして押し切るレースをしたが、どういうわけかミスターシービーがスムーズに前につけて勝ったのはこれが最初で最後である。
出遅れ癖
初戦を鮮やかな勝利で飾ったミスターシービーは、1勝クラスの黒松賞(中山芝1600m)に出走。スタートで後手を踏んだシービーは先行勢を後ろから追いかけて、直線の競り合いの末ゴール前わずかに抜け出して連勝した。
そして続く3戦目のひいらぎ賞(中山芝1800m)でも出遅れて、今度は追い込み届かず2着に敗れた。
3歳時
クラシックに向けて
年が明けてミスターシービーの3歳初戦は共同通信杯(東京芝1800m)から始動。このレースでも後方からのレースとなったが、前走ひいらぎ賞で捉えきれなかったウメノシンオーをきっちりと交わして1着でゴールした。
ミスターシービーの追い込み脚質は、当初はスタートの出遅れから位置取りが後ろになってしまいやむを得ないものだった。しかしミスターシービーの燃えやすい性格を感じとった吉永騎手が、あえて後ろに控えさせる作戦を取るようになったそうだ。
弥生賞
続いて、皐月賞の前哨戦として弥生賞(中山芝1800m)に出走。内目の3番枠に入ったミスターシービーは、後方のインコースからレースを進め、直線では馬群を縫うように抜け出してきて快勝した。
常識破りの皐月賞
重馬場を克服して一冠
迎えたクラシック一冠めの皐月賞。新馬戦以外は後方からのレースでここまで5戦4勝で駒を進めてきた。そして皐月賞当日はあいにくの雨となり、追い込み脚質には不利と思われるほどドロドロの不良馬場にまで悪化した。
実績上位のミスターシービーは1番人気に支持されたが、この馬場状態で果たして後ろから届くのか・・・。そんな不安をよそに、ミスターシービーは自らのスタイルを貫いて躍動する。
21頭立て、真ん中あたりの12番枠からスタートすると、いつも通り後ろにポジションを下げて内で折り合うミスターシービーと吉永騎手。前半は後方から4,5番手という位置取り。
レースが中盤に差し掛かると、向正面あたりから仕掛けて徐々に上がっていくが、視界が悪く勝負服も皆泥んこでよく分からないほどである。
そして迎える最後の直線、中団あたりにまで上がっていたはずのミスターシービーはどこだ?と、ほとんどの人が一瞬見失っていたのではないかと思えるほど、いつの間にかミスターシービーはそこにいた。直線の入り口では、逃げていたカツラギエースの横に並びかけようとしていたのだ。
真っ黒になった勝負服では認識が難しかったが、たしかに見えるゼッケン12番はそのまま抜け出し、追いすがるメジロモンスニーを振り切って先頭でゴールした。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
皐月賞のミスターシービーは、視界の悪さも相まってワープでもしたかと錯覚するような持続力と瞬発力のある末脚を繰り出してクラシック一冠めを獲得した。
常識破りのダービー
ダービーポジション無視で二冠
圧巻のレースぶりで皐月賞を制したミスターシービーは、世代の頂点の座をかけて第50回となる記念の日本ダービーへ向かう。
ダービーポジション
当時はまだフルゲート28頭という時代。20頭以上の多頭数で行われることの多かったダービーでは「1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない」というダービーポジションと呼ばれるジンクスのようなものがあった。
20頭を超えるような多頭数では、追い込み馬は馬群を捌くのに苦労する。かと言って馬群を避けて大外を回す場合のロスの大きさから、「ある程度前に行かないと勝てない」ことを意味していた。
なおフルゲート18頭にまで制限されるようになった現在では枠の内外による有利不利や展開にもそれほど注文がつかなくなり、ダービーポジションというジンクスも薄れている。
我が道を行く
しかし、ミスターシービーにとってダービーポジションなど関係なかった。21頭立てとなったこの年のダービー。皐月賞と同じ12番枠に入ったミスターシービーは、スタートで出遅れて後方からの競馬となる。
10番手以内どころか、後ろから2,3頭目で1コーナーを通過。しかし慌てることなく3コーナーあたりから徐々に進出を開始すると、最終コーナーではかなり外を回りながらも中団の位置取りで直線を迎える。
そして最後の直線。先に抜け出した内を通る先行勢目掛けて、馬場の外目からもの凄い勢いでミスターシービーが追い上げる。鋭く内へと切れ込みながら一気に先行勢を抜き去ると、皐月賞と同じように追いすがるメジロモンスニーを引き連れて先頭でゴール板を駆け抜けた。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
4コーナーで進出する際にゴチャついて他馬を弾き飛ばしてしまったことで吉永騎手が制裁を受けたものの、接触をものともせずに勝ったミスターシービーの強さは歴然だった。ダービーポジションなど関係ない。圧巻の走りで二冠を達成した。
秋、三冠へ向けて
順調さを欠く
夏は放牧に出さず厩舎で過ごしたミスターシービーは、三冠をかけた大事な菊花賞へ向かう前に順調さを欠いてしまう。もともと弱かった蹄のトラブルと夏風邪によって予定していたセントライト記念を回避。
さらに、万全とは言えない状態で出走した京都新聞杯では追い込み届かず4着と自身初めて連対を外す敗北を喫した。逃げて圧勝したカツラギエースからは7馬身以上の差をつけられての完敗に、三冠達成を危ぶむ声も聞かれ始めた。
常識破りの菊花賞
セオリー無視のマクリで三冠達成
秋初戦で躓いたミスターシービーだったが、休み明けを一度使ったことで体調が上向き、三冠をかけた大一番には見違えるような状態に仕上がっていた。当時の映像やパドック写真を見ても、黒光りする毛艶のいい馬体は惚れ惚れするような万全のデキに見える。
体調面のほかにもう一つ不安視されていたのが、距離適性である。父トウショウボーイも菊花賞3着、天皇賞7着と3000m以上の長距離レースは勝てなかったように、父母から豊かなスピードを受け継いだミスターシービーは中距離までの血統と見られていたのだ。距離の壁を克服するには後方待機で脚を溜めてスタミナを温存する必要があると思われた。
そんな不安を知ってか知らずか、またしてもミスターシービーは驚きのレースぶりを見せる。
9番枠からスタートして最後方につけたミスターシービーと吉永騎手。3000mの長丁場、どこで仕掛けるかに注目が集まる。比較的速いペースで流れる中、1周目のスタンド前を最後方で通過。1,2コーナーを回って向正面、3コーナーに差し掛かる上り坂の手前から徐々に進出を開始するミスターシービー。
「ゆっくり上ってゆっくり下る」のがセオリーと言われる淀の坂を、上り坂の手前から加速して駆け上がっていくミスターシービー。そのまま緩めることなく一気に下り坂を駆け下りてついには先頭に躍り出てしまった。「終わった」関係者もファンも皆、ミスターシービーの暴走気味のマクリを見てそう思ったに違いない。
しかしミスターシービーは止まらなかった。直線に入っても脚色が衰えることはなく、そのままリードを広げて後続を寄せ付けずに3馬身差をつけて圧勝。常識破りのレース運びでついにクラシック三冠を達成した。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
テレビ実況を担当した杉本清アナウンサーの「大地が弾んでミスターシービーだ」「史上に残るこれが三冠の脚だ」という名フレーズとともに、シンザン以来19年ぶり、史上3頭目の三冠馬となったミスターシービーが歴史にその名を刻んだ。
4歳時
長期休養
菊花賞で三冠を達成したあと、ジャパンカップと有馬記念を回避して休養。古馬になってからのレースに備える。
4歳になって最初のレースには1月のAJCCが予定されていたが、降雪によってダート変わりになることを懸念して出走を見送る。その後、蹄の状態が悪化してしまい結果的に春シーズンの復帰は叶わず長期に及ぶ休養となった。
復帰戦
三冠を達成した菊花賞からもうすぐ1年になろうかという10月、毎日王冠で待望の復帰が決まる。長期のブランクに加えて調教でも精彩を欠く動きからは好調にはほど遠い状態と見られて、デビュー以来初めて1番人気を譲ることとなった。
本格化を迎えていた同期のカツラギエースを目掛けて、ミスターシービーは後方から猛然と追い込んでアタマ差の2着に入って健在を印象付けた。
四冠
天皇賞(秋)
前年まで3200mで行われていた秋の天皇賞は、この年から2000mに変更となった。東京の2000mは、父トウショウボーイが東京開催の皐月賞をレコード勝ちした舞台であり、母シービークインが毎日王冠で東京2000mのコースレコードを樹立した舞台でもあった。
1番人気を取り戻したミスターシービーは、この絶好の舞台で本来の走りを見せて躍動した。出遅れ気味のスタートから、ハイペースの縦長のレース展開を最後方からじっくり進めるミスターシービー。
3~4コーナーで仕掛けられると、馬群の間を縫うようにスルスルと進出して最後の直線へ。横に大きく広がった一番外を、弾けるようにミスターシービーが伸びてくる。粘るカツラギエースら先行勢をまとめて捉えると、そのまま先頭でゴールを駆け抜けた。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
記録した1分59秒3は東京2000mのコースレコード。父母もレコードで駆けた舞台で存分に力を発揮し、古馬になって初のビッグタイトルを手にした。
1つ下の三冠馬
皇帝シンボリルドルフ
同じ頃、競馬界の大きな話題といえば二年連続の三冠馬誕生なるか、ということだった。しかも最後の菊花賞を残して無敗の三冠馬に王手をかけていた馬こそ、シービーのひとつ下の世代から現れた皇帝シンボリルドルフである。
果たしてその偉業は天皇賞の2週間後にあっさりと達成され、JRA史上初となる無敗の三冠馬が誕生したのである。
三冠馬対決
ジャパンカップ
二頭の三冠馬は、すぐに顔を合わせることになる。菊花賞から2週間後、東京競馬場で行われるジャパンカップに二頭揃って参戦した。こうして日本競馬史上初の三冠馬同士の対決が実現したのである。
81年に国際招待競争として創設されて以来、3年連続で優勝は外国馬に譲っていた。4回目のこの年、グレード制の導入によってG1の格付けとなったこともありより注目が集まっていた。ジャパンカップを最初に勝つ日本馬はシービーかルドルフか。
1番人気はミスターシービー。前走の天皇賞で完全復活を果たし、外国馬をおさえて堂々の1番人気に支持された。そして強力な外国馬2頭を挟んで無敗の三冠馬シンボリルドルフは4番人気。中1週での参戦ということもあって多少人気を落としていた。
結論から言うと、日本馬によるジャパンカップ優勝は成された。それはシービーでもルドルフでもなく、10番人気の伏兵、第三の日本馬カツラギエースによって。
ミスターシービーは後方のまま伸びずに10着に沈み、シンボリルドルフは激しい2着争いを演じた末に3着となった。勝ったカツラギエースは、果敢に逃げてそのまま後続を振り切って見事に逃げ切ってみせたのだった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
有馬記念
ジャパンカップで明暗のわかれた3頭の日本馬たちは、年末の有馬記念で再び相まみえる。初の黒星を喫したものの、力を示したシンボリルドルフが1番人気、失意の結果に終わったミスターシービーが2番人気、殊勲のジャパンカップを手にしたカツラギエースが3番人気という三強ムードである。今が絶頂期というほど充実していたカツラギエースはこのレースをラストランに引退が決まっていた。
そして、今度は無敗の三冠馬シンボリルドルフがその力を示して優勝。2着にはシンボリルドルフにマークされて厳しい展開となったカツラギエースがジャパンカップ馬の意地を見せて粘り、ミスターシービーは最後方から懸命な追い込みを見せたものの上位2頭には届かず3着までとなった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
5歳時
最後の三冠馬対決
年が明けて5歳となったミスターシービーは初戦のG2サンケイ大阪杯で地方出身のステートジャガーにハナ差で敗れると、天皇賞(春)へと駒を進める。
シーズン初戦の日経賞を圧勝して盤石の皇帝シンボリルドルフと三度目の三冠馬対決が実現した。
ミスターシービーは、前半後方に控えて3コーナーの上り坂で進出を開始。菊花賞を彷彿とさせるようなマクリを見せて沸かせた。直線で一旦は先頭に立ったもののそこからシービーらしい伸びは見られず、シンボリルドルフに交わされて後退。5着という結果に終わった。
引退
その後は脚部不安で休養に入ったが、結局脚元の状態が万全には戻らず引退が決まった。常に抱えていた蹄の問題に加え、歳を重ねるにつれて全盛期には仕掛けどころで自らグイグイと進んでいき、抑えられないほどの闘志だったのが徐々に反応が鈍くなっていったという。それでもシンボリルドルフとの三冠馬対決三番勝負や同期のカツラギエースを加えた三強対決など最後までターフの中心に居続けた。
顕彰馬
引退の翌年、ミスターシービーはその功績が認められて顕彰馬に選出された。父トウショウボーイとの父子顕彰馬というのは史上初の快挙であった。
ターフの演出家は色あせない
シンボリルドルフとの三冠馬対決では一度も先着することができず、三冠馬同士で比較されることもあった。それでも、この常識破りの三冠馬ミスターシービーの走りは今なお語り継がれている。
ドロドロの不良馬場の中で躍動した皐月賞。ダービーポジションなど関係なしと自らのレースを貫いたダービー。そしてセオリーを無視して一気に坂を駆け上がった菊花賞。ミスターシービーにしかできない自由な走りで成し遂げた三冠はいつまでも色褪せることはない。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、ミスターシービー。
史実のミスターシービー
基本情報 | 1980年4月7日生 牡馬 黒鹿毛 |
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血統 | 父 トウショウボーイ 母 シービークイン(父トピオ) |
馬主 | 千明牧場 |
調教師 | 松山康久(美浦) |
生産者 | 千明牧場(北海道浦河町) |
通算成績 | 15戦8勝 |
主な勝ち鞍 | 83’皐月賞、日本ダービー、菊花賞、84’天皇賞(秋) |
生涯獲得賞金 | 4億959万円 |
エピソード①種牡馬として
引退後は種牡馬となり、トウショウボーイの後継種牡馬としても大いに期待された。初年度からヤマニングローバル、スイートミトゥーナ、メイショウビトリアという重賞勝ち馬を排出して新種牡馬ランキング1位と順調なスタートを切った。
2年目の産駒からも、シャコーグレイドがトウカイテイオーが勝った皐月賞で2着に入り、シンボリルドルフとの二世対決が話題となるなど活躍を見せた。
シービーの種牡馬としての評価は高まり、大物の誕生も時間の問題と期待されていたのだが、その後は種付け価格の高騰に見合うほどの結果を残すことができなかった。まだまだこれからという時期にトニービン、ブライアンズタイムやサンデーサイレンスといった輸入種牡馬の急速な台頭に押されて種付け数も減っていってしまったことは、シービーにとって不運が重なったとも言われる。
エピソード②ターフの偉大なる演出家
JRAポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピーを見てみよう。(ポスター画像はリンク先で見られる)
引用元:JRAポスター ヒーロー列伝(No.14)
「ターフの偉大なる 演出家よ ミスターシービー」自由にターフを駆けたミスターシービーは、自らの三冠レースをドラマチックに演出した。
エピソード③伝説のレース
ミスターシービーが勝った三冠レースの中でも、「不良馬場でワープ」した皐月賞と「坂の上りで驚異のマクリ」で勝った菊花賞は伝説的なレースだ。
近年でも、稀に似たような印象を受ける衝撃のレースを見ることができる。筆者の頭にもいくつか思い浮かぶが、代表的なのはゴールドシップのワープやゴールドシップの不沈艦だろうか。。。
ほかにも、春の天皇賞を涼し気な顔で坂道で加速して勝った三冠馬のレースなど、セオリー無視のレースはハラハラする反面、痛快なレースが多い印象だ。
今週の一枚
レース中のどのシーンを切り取っても絵になるシービー。実際のNumber誌の表紙も飾ったことは記憶に新しい。
最後に、新シナリオからの一枚。
ウマ娘、祝2周年!
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ジャパンカップ | 有馬記念 |
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