競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第48回。メジロ家の個性派逃げ馬「メジロパーマー」について熱く語ります。
メジロ御三家
マックイーン、ライアンと同期
リアル競馬の世界では、先日行われた宝塚記念をもって2022年上半期の日程が終了した。その宝塚記念の余韻も残る中、今回の当コラムの主役はメジロ家の一員であるメジロパーマー。マックイーン、ライアンとメジロの名馬達と同期で、いずれもG1馬に上り詰めて『メジロ御三家』とか『花の62年組』と謳われたうちの一頭である。
この昭和62年産まれの三頭は、宝塚記念をライアン→パーマー→マックイーンの順にメジロ勢が三年続けて制覇するという偉業を成し遂げたことでも有名だ。
グランプリに愛された個性派逃げ馬
引用元:JRA日本中央競馬会
宝塚記念
宝塚記念は、人気投票によって優先出走権が与えられるグランプリレースである。春のG1シリーズの締め括りとして行われるため、中長距離路線を戦ってきた春の主役達が集う祭典という位置づけだ。
また、宝塚記念で悲願のG1初制覇という馬が多いレースとして知られる。有名なところではテイエムオペラオーの連続2着に泣いたメイショウドトウのG1初制覇や、最初で最後のG1勝利となったサイレンススズカの逃走V、そして前述のメジロライアンも念願の初G1勝利がこの宝塚記念だった。
今回の主役であるメジロパーマーも、紆余曲折の競走馬生の末に宝塚記念で初めてG1を勝ち、有馬記念も制して春秋グランプリ制覇という偉業を成し遂げた。そんなメジロパーマーの波乱万丈の史実を追っていく。
デビュー前
スター由来の馬名
メジロマックイーンの回でも書いた有名なエピソードだが、62年組の三頭の馬名は「メジロの冠名+スターの名前」というのが馬名の由来となっている。それぞれ、名優スティーブ・マックイーン、メジャーリーグの大投手ノーラン・ライアン、そしてプロゴルファーのアーノルド・パーマーから命名された。
仔馬時代
父メジロイーグル、母メジロファンタジー(父ゲイメセン)という血統のメジロパーマー。父メジロイーグルは現役時代、大逃げ戦法で沸かせた人気のある競走馬だったが、菊花賞や有馬記念で3着などG1制覇にはあと一歩届かなかった善戦マンタイプだった。引退後はメジロ牧場で種牡馬となり細々と種付けを行っていた。
持ち込み馬として4戦1勝の成績を残した母メジロファンタジーとの間に産まれたメジロパーマーは、仔馬時代は他の同世代の幼駒たちと比べて特に目立つところはなかった。しかし獣医にかかる必要がないくらい丈夫で健康に育ったという。
2歳時
メイクデビュー
2歳となり大久保正陽厩舎に入厩したパーマーは、8月の函館でデビュー。芝1000mの新馬戦を2戦続けて2着のあと、3戦目の未勝利戦で逃げて勝ち上がる。芝1200m、重馬場のレースだった。
そのまま函館に滞在してオープン特別のコスモス勝(芝1700m)に出走。再び重馬場となったが、経験済みのメジロパーマーは1番人気に支持された。2番手からしぶとく伸びてクビ差で勝利。函館でデビューから連続2着のあと2連勝の好成績を収めた。
連敗、骨折
順調なスタートを切ったパーマーだったが、栗東に戻ってから足踏みしてしまう。京都競馬場の萩ステークス(芝1200m)に出走すると、5番人気のパーマーは最下位の9着と大敗。
続く京都3歳ステークス(芝1600m)でも10頭立ての8着といいところなく敗退。レース後に左後脚の骨折が判明し長期休養を余儀なくされる。
3歳時
復帰
3歳になり、パーマーが骨折休養から復帰したのは6月。札幌のエルムステークス(芝1800m)で5着(6頭立て)とすると、その後も精彩を欠き最下位を含む4連敗と低迷した。
函館記念
骨折休養を挟んで6連敗中だったが、格上挑戦でG3函館記念に出走。これが重賞初挑戦となった。2歳時は前で競馬をして好成績をあげていたが、ここのところは中団より後方から全く伸びずに敗退というレースが続いていた。
ハンデ戦の重賞につき、48キロという15頭中の最軽量ハンデをもらったメジロパーマー。軽ハンデを活かして逃げたパーマーはまずまずの粘りを見せて7着。
再び骨折
逃げ戦法に一筋の光明が見えた矢先だったが、ふたたび骨折が判明して長期休養に入った。
4歳時
復帰
骨折で3歳の秋を棒に振ったパーマーは4歳となり、3月に戦列復帰する。復帰初戦こそ12着と惨敗するが、距離が伸びた大原ステークスと大阪城ステークス(ともに芝2400m)で逃げて3着、4着と続けて上位に食い込む。
同期の3頭揃い踏み
メジロパーマーは2歳時の連勝以来勝ち星がなく、重賞レースでの好走すらなかったが、ここで初のG1レースに挑戦。天皇賞(春)に出走する。
そこには同期のメジロ二頭、マックイーンとライアンが出走していた。前年に菊花賞を勝って本格化を迎えたマックイーンが一番人気、クラシック三冠レースすべてで三着以内だったライアンが二番人気。実績の乏しいパーマーは18頭立ての16番人気だった。
レースはマックイーンが人気に応えて優勝し、ライアンは4着、逃げたパーマーは早々に後退して13着という結果だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
夏の札幌で開眼
天皇賞の後は札幌へ移動し、夏競馬に参戦。ここで自己条件のレースに戻ると、強敵に揉まれた経験が活きたのか結果も上向きに。芝1800mのニセコ特別で惜しい2着のあと、同じ1800mの十勝岳特別をなんと大差で逃げ切り勝ち。12連敗を経てようやく待望の3勝目を挙げた。
障害に転向?
実はこの札幌遠征の少し前、成績の上がらないメジロパーマーには障害転向の動きがあった。平地のレースで頭打ち状態だったため、試しに障害を飛ばせてみたところなかなか見どころがあったことから大久保調教師はなかば転向を決めていた。
しかし天皇賞後に1勝クラスへの降級が決まると、1勝クラスのレースを走らせてからということに判断が持ち越された。そして1年9ヶ月ぶりに連敗を脱したことで障害転向を免れたのである。
札幌記念
勢いづいたパーマーは連闘策でG3札幌記念で重賞に挑む。51キロの軽ハンデに加え、前走の大差勝ちで完全に逃げが板についてきたこともあり4番人気だった。
そして、スタート後スムーズに先手を取ることはできなかったが、第二コーナー手前で先頭を奪うとそのまま逃走。軽ハンデの利を存分に活かして粘り込み、そのまま逃げ切った。一時は障害転向を検討されていたパーマーだったが、こうして念願の重賞初制覇を果たしたのだ。
結局、障害入り
ところが、である。せっかく重賞勝ち馬にまでたどり着いたパーマーだったが後が続かず3連敗。不良馬場で出遅れたり不運もあったが、マックイーンの最下位に敗れた京都大賞典が決め手となって障害転向が決まった。
障害デビュー
障害初勝利
もともと飛越の練習でセンスを覗かせていたパーマーは、障害試験をレコードタイムで合格。11月の障害未勝利戦でのデビューが決まった。
迎えた障害デビュー戦では、2番手から抜け出し快勝。一番人気に応えて6馬身差をつける圧勝だった。
しかしパーマーの障害での走りには不安な部分があった。障害に対してジャンプが低く、脚を高く上げないために障害すれすれを飛んでいた。大久保調教師はパーマーが障害を本気で飛んでいないことが原因と見ていたようだ。
そして障害2戦目、2着に敗れたパーマーは擦り傷だらけで帰ってきた。脚に障害物の白いペンキもついていた。障害を続けるには危険と判断され、平地への復帰が決まった。
5歳時
障害帰りの効果
障害を経験したメジロパーマーだったが、その経験は決してムダではなかった。障害の練習で後肢が鍛えられ、また精神面でも落ち着きが出た。
平地復帰と山田泰誠騎手との出会い
平地への復帰は5歳の3月下旬。復帰初戦のコーラルステークス(芝1400m)では逃げて4着とまずまずのレースを見せた。
そして、2年連続の参戦となった天皇賞(春)。メジロマックイーンがトウカイテイオーとの世紀の対決を制して2連覇を達成した裏でのちの名コンビが誕生していた。メジロパーマーに初騎乗で7着だった山田泰誠騎手は、これ以降パーマーの主戦騎手を務めることとなる。
新潟大賞典
続く新潟大賞典は、障害帰りのパーマーはハンデも手頃で陣営は密かに期待していた。そして前走からコンビ継続の山田泰誠騎手とのコンビでスタート後から先手を取ってスイスイ逃げ、直線でも突き放す強い内容で逃げ切り勝ち。2着に4馬身差をつける会心の勝利だった。
障害帰りのグランプリホース誕生
宝塚記念
主役を演じるはずだったトウカイテイオーと、天皇賞を連覇したメジロの絶対的なエース・マックイーンがともに骨折で宝塚記念を回避。ライアンは3月の日経賞を勝ったあと屈腱炎を発症して先に戦線離脱していた。
障害帰りで重賞2勝目をあげて上り調子のパーマーはファンからの人気投票では選から漏れたものの、JRAの推薦枠で出走可能となった。
本命不在と言われた宝塚記念は、天皇賞(春)と安田記念で連続2着のカミノクレッセが1番人気。マイルチャンピオンシップ勝ちのある逃げ馬ダイタクヘリオスが2番人気だった。この馬は主戦場はマイル路線だったが、有馬記念5着など中距離以上をこなすスタミナも持ち合わせる個性派だ。
メジロパーマーと山田泰誠騎手のコンビは9番人気という人気薄の立場をいかして大胆な逃げを敢行。
ダイタクヘリオスらとの先手争いを制して単独の逃げに持ち込むと、12頭を引き連れて軽快に飛ばす。最終コーナーまでになし崩しに脚を使わされて次々と脱落していく後続勢に対し、メジロパーマーは2番手を追走したダイタクヘリオスをさらに突き放して最後の直線へ。
直線入り口で追いすがるのはカミノクレッセただ一頭。それも3~4馬身後方だ。さすがにパーマーのスタミナも尽きて脚が止まった頃にはカミノクレッセの末脚も残っておらず大勢が決した。メジロパーマーがあれよあれよと逃げ切り勝ちで初G1制覇を達成した。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
2着カミノクレッセに3馬身差、その後ろの3着馬はさらに4馬身差、4着以下ははるか後方に置き去りにする逃走劇だった。この消耗戦を作り出した山田泰誠騎手にとっても嬉しいG1初勝利となった。
秋
夏場は休養にあて、秋はG1馬として堂々と王道路線を歩む。しかし、秋初戦の京都大賞典で2番人気を裏切って9着に敗れると、宝塚記念の快走は早くもフロック(まぐれ)扱いされてパーマーの評価は急落。
藤田伸二騎手に乗り代わった天皇賞(秋)では、ダイタクヘリオスと激しく競り合いハイペースを演出。自身は直線を前に失速して17着と惨敗を喫した。
逃走劇、再び
有馬記念
春のグランプリホースは秋の2戦ですっかり人気を落とし、暮れのグランプリ有馬記念にはファン投票の選に漏れて再び推薦枠で出走。鞍上は山田泰誠騎手が戻る。相手にはジャパンカップで復活Vを遂げたトウカイテイオーや菊花賞馬ライスシャワーらの実力馬が揃った。
スタートすると、レガシーワールド、ダイタクヘリオスとの先手争いを制して先頭を奪う。序盤は単独で気持ちよく逃げたが、前に行きたがるダイタクヘリオスに絡まれると、2頭で並走して3番手以下をグングン引き離す。向正面では後続と10馬身以上の差が開く2頭による大逃げに場内はざわめく。
3コーナーに差し掛かると、パーマーと山田騎手は掛かり気味のダイタクヘリオスに先頭を譲りスタミナを温存。この一瞬の"溜め"が最後に活きることになる。
最終コーナーで失速したダイタクヘリオスを交わして再び先頭に立ち最後の直線へ。10馬身あった後続との差は、直線半ばでパーマーの脚が止まるとみるみる縮まっていく。しかし最後にもうひと踏ん張りしたメジロパーマーにレガシーワールドが並んだところがゴールだった。
わずかに凌ぎきったメジロパーマーが、宝塚記念につづいて春秋グランプリ連覇。15番人気という低評価を覆して偉業を達成した。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
上がり3ハロン(ラスト600m)のタイムでレガシーワールドに2.5秒も詰められたが、3コーナーでの一瞬の"溜め"が最後の粘りを生んだ。なお、一緒に大逃げを打ったダイタクヘリオスは12着に沈んだ。
JRA賞
宝塚記念と有馬記念。両グランプリレースを制したメジロパーマーはJRA賞の最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬を受賞。ともにトウカイテイオーやメジロマックイーンを押しのけての受賞だった。
一年前には一度障害へ転向した馬がここまで上り詰めることを誰が想像できただろうか?ここに、史上稀に見る逆転馬生の個性派名馬が誕生したのだった。
6歳時
現役続行
グランプリ連覇の実績をもって引退種牡馬入りとはならず、翌年も現役を続行。年明け初戦のG2阪神大賞典を逃げ切って重賞5勝目をあげる。因みにここでもまだ3番人気。善戦マンのナイスネイチャにも常に人気で劣っていた。
天皇賞(春)
前年に山田泰誠騎手と初コンビを組んだ天皇賞に有力馬の一頭として出走。メジロマックイーンの3連覇なるかという注目の大一番。断然の1番人気にメジロマックイーン、2番人気ライスシャワー、3番人気マチカネタンホイザ、4番人気にメジロパーマーが続いた。
スタートから単独で逃げると、徐々にリードを拡げて大逃げに持ち込むパーマー。向正面でペースを落として溜めを作ると、最終コーナーで並びかけてきたマックイーン、ライスシャワーと3頭固まって最後の直線を迎える。
3頭の中からライスシャワーが抜け出ると、3連覇の夢を砕かれたマックイーンに最後まで食い下がるパーマー。メジロの同期2頭の叩き合いをマックイーンがわずかに制して2着、パーマーが3着でゴールした。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
メジロの絶対的なエースであるマックイーンと、異端児パーマー。ライアンと3頭揃い踏みした2年前の天皇賞では圧倒的な差があったが、時を経て成長したパーマーがマックイーンと並んでゴールする姿は感慨深いものがあった。
数々のドラマの陰で低迷
天皇賞のあと、パーマーは長い低迷期を過ごす。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ宝塚記念ではマックイーンに次ぐ2番人気に支持されるもののブービーの10着に終わる。しかし人気に応えて優勝したマックイーンによってメジロ勢の3連覇が果たされた。
夏の休養を挟んで秋も成績があがらず、9番人気で臨んだ暮れのグランプリ有馬記念も6着。ここも連覇はならなかったが、奇跡の復活を遂げたトウカイテイオーのドラマは、この個性派逃げ馬のつくったペースから生まれた。
引退
明けて7歳となったメジロパーマーは、1月の日経新春杯がラストランとなった。2番人気を集めたパーマーは、60.5キロの最重量ハンデを背負って出走。山田泰誠騎手を背にこの馬らしい逃げを敢行し、2着に粘りこんだ。
この時代は、トウカイテイオー、ライスシャワーといった強力なライバル勢に、ナイスネイチャやイクノディクタス、マチカネタンホイザらウマ娘でもお馴染みの個性的な脇役勢も豊富だった。
そんな中、障害への転向など波乱に満ちた競争生活を経て大きく成長したメジロパーマーは、マックイーン、ライアンとともにメジロ御三家と呼ばれるまでに飛躍。この時代を代表する名馬たちの中でも断トツの個性派だった。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、メジロパーマー。
史実のメジロパーマー
基本情報 | 1987年3月21日生 牡 鹿毛 |
---|---|
血統 | 父 メジロイーグル 母 メジロファンタジー(父ゲイメセン) |
馬主 | メジロ牧場 |
調教師 | 大久保正陽(栗東) |
生産牧場 | メジロ牧場(北海道伊達市) |
通算成績 | 38戦9勝 |
主な勝ち鞍 | ’92宝塚記念、’92有馬記念 |
生涯獲得賞金 | 5億3674万円 |
エピソード① 種牡馬として
引退後は種牡馬となったパーマー。産駒の中から誕生した最大の活躍馬は、京都ハイジャンプ(J-GII)勝ちなど障害レースで活躍したメジロライデンだった。この馬も障害と平地を行ったり来たりしながら息の長い活躍をした孝行息子だった。
今週の一枚
個性は逃げ馬の競演。ダイタクヘリオスに絡まれながらも、自身のペースを守って一瞬の"溜め"をつくったパーマー。
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