第9回:皇帝 シンボリルドルフの物語

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【ウマ娘】第9回:皇帝 シンボリルドルフの物語

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【ウマ娘】第9回:皇帝 シンボリルドルフの物語

競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第9回。今回は七冠馬、皇帝「シンボリルドルフ」について熱く語ります。

目次

皇帝シンボリルドルフ

無敗の三冠馬にして七冠馬

七つの勲章

ウマ娘ではダジャレ好きの我らが生徒会長のモデルは、日本競馬史に残るすごい馬である。史上初の無敗の三冠馬であり、有馬記念2連覇、天皇賞(春)、ジャパンカップ制覇を加えて、当時シンザンが持っていた五冠という記録を塗り替えて七冠を達成した。会長の勝負服にちりばめられた7つの勲章は、誉れ高き七冠馬の称号を表現しているのだろう。時代が変わっても色褪せない偉大な七冠馬シンボリルドルフの史実を追っていく。

仔馬時代

ルナちゃん

父パーソロン、母スイートルナ(母父スピードシンボリ)の間に産まれた仔馬は、神聖ローマ帝国の皇帝・ルドルフ1世からとってシンボリルドルフと名付けられた。額に白い三日月型の流星がトレードマークで、牧場では幼少期「ルナ」と呼ばれていた。

ルナ

月の女神ルナの名を持つ母から三日月マークの仔が産まれるとは、偶然にしてはなんともロマンチックな話である。このエピソードは、ゲーム内の育成イベント「清風明月」でも会長自ら語っている。

月
ルナ

オチはさすがの会長クオリティー。このギャップがいい。

2歳時

育成時代

シンボリルドルフは、ライオンと形容されるほど激しい気性の持ち主だったが、厩舎や牧場では荒々しい面を見せていても、調教になると人に従順で教えられたことをすぐに実践できる賢さを備えていた。そして、厩舎入りする前の育成時代からハードな調教をこなしていた。

ハード調教

当時まだ栗東トレセンの坂路コースが備わっていない頃に、先進的な調教コースを保有していた千葉のシンボリ牧場で厳しいトレーニングにより鍛えられたシンボリルドルフは、野平祐二厩舎に入る頃にはすぐにでも競走馬としてデビューできるほどに仕上がっていた。

【用語解説】坂路
坂道のような急勾配がある調教コース。栗東トレセンの坂路コースはミホノブルボンのスパルタ調教で有名になった。

メイクデビュー

デビュー戦は7月の新潟、芝1000mの新馬戦。鞍上には引退まですべてのレースで手綱を握ることになる名手岡部幸雄騎手。デビュー戦を前に野平調教師は岡部騎手に「シンボリルドルフより強い馬がいたら遠慮なく乗り換えていい」と伝えたという。それだけ絶大な自信があったということだろう。さらに、こんな注文をつけたという。「1600mのレースのように乗って欲しい」。まだ若いルドルフは、忙しい1000mのレースで序盤は追走に苦労するものの、最後の直線では余裕たっぷりに抜け出して勝利する。荒削りだが能力の違いを見せつけた。

1着

名手がレースを教える

続く2戦目は東京競馬場・芝1600mのいちょう特別。そして今度は2400mのレースを意識して乗ったという。東京の2400mとはつまりダービーの距離である。こうして2歳戦の頃からクラシックを意識して名手に競馬を教え込まれたルドルフは、着実にそれをクリアしていく。

いちょう

いちょう特別は現在のG3サウジアラビアロイヤルカップの前々身にあたるレースだが、当時は400万下という1勝クラスのレース。ウマ娘での育成目標レースにサウジアラビアRCが含まれるのはこのためである。

海外へのアピール

2戦2勝でオープンクラス入りしたシンボリルドルフ。普通であれば朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)で世代チャンピオンを狙うところだが、ルドルフの3戦目は東京のオープン戦。〇〇ステークスや〇〇特別といった名称のないただのオープン戦である。

オープン戦

この東京競馬場・芝1600mのオープン戦に出走した理由には驚いた。海外志向の強いオーナーが、同日に行われるジャパンカップのために来日している世界の競馬関係者にシンボリルドルフという馬を見せたかったということらしい。まだデビューして2戦しただけの若駒としては異例である。

3歳時

ライバル登場

3戦3勝で2歳戦を終えると、クラシックを見据えて放牧に出される。放牧とは言えずっと休んでいるわけではなく、牧場でトレーニングを積んでパワーアップして春に備えるのだ。その頃、クラシック戦線ではビゼンニシキというライバルが現れる。岡部騎手を背に無傷の4連勝を飾り、一躍クラシック候補に躍り出た。

弥生賞で激突

そしてシンボリルドルフの3歳初戦、弥生賞で早くもライバルと顔を合わせることとなった。のちにSB決戦と言われる二頭のライバル対決の始まりだった。両馬の主戦騎手を務めていた岡部騎手はどちらに乗るのか。ファンはまずその選択に注目したことだろう。デビュー前に野平調教師に言われた言葉を思い返していたかどうかは分からないが、岡部騎手は迷わずシンボリルドルフを選んだ。そして、1番人気こそライバルに譲ることになったが、この対決を制して堂々とクラシックの主役の座につく。

激突

シンボリルドルフとビゼンニシキはともに大外を回るロスをものともせずに一騎打ちとなるが、最後まで手綱を持ったままの手応えで1馬身3/4の差をつけたシンボリルドルフの強さが際立つレースだった。

一冠、皐月賞

無敗のライバル対決を制したシンボリルドルフは、4戦4勝でクラシックの第一冠、皐月賞へ駒を進める。ふたたび相まみえるライバルのビゼンニシキは、弥生賞のあとにスプリングステークスを勝って皐月賞に参戦してきた。

皐月賞

そしてレースは弥生賞と同じく二頭の一騎打ちとなる。好スタートから三番手につけたシンボリルドルフは最終コーナーで早くも先頭に躍り出ると、外から進出してきたビゼンニシキと直線で馬体を併せる。内のルドルフと、並びかけてくる外のビゼンニシキ。ルドルフがビゼンニシキに何度か馬体をぶつけるほどの激しい競り合いとなったが、最後は気迫に勝るシンボリルドルフが突き放してゴールした。

一冠

優勝した岡部騎手は表彰式で指を一本立てて高らかに突き上げた。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

ちなみに直線の接触が進路妨害とみなされ、岡部騎手は騎乗停止処分を受けている。

二冠、日本ダービー

5戦5勝、無敗でクラシックホースとなったシンボリルドルフは二冠めのダービーで更に成長した姿を見せる。珍しく中団に控える位置取りで中盤までレースが進むと、位置取りを上げようとゴーサインを出す岡部騎手に対して反応が良くないシンボリルドルフ。

いつもと様子が違うぞと実況アナウンサーやファンが心配したのも束の間、4コーナーで進出を開始すると直線で外に進路を取り力強い末脚で先行集団を捉えて抜け出す。

二冠

レース後の表彰式で岡部騎手は二本指を掲げた。無敗でのダービー制覇、二冠達成は前年の三冠馬ミスターシービーに続いて二年連続となった。ここまでライバルとして盛り上げたビゼンニシキは14着と初めて大敗し、SB対決にも終止符が打たれた。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

名手にレースを教える

勝ち方

この時のダービーについて、のちに岡部騎手は「ルドルフに競馬を教えられた」と語った。驚くことに、シンボリルドルフは騎手の意思に反して自分をコントロールし、レースの勝負所で自らスパートして勝ったというのだ。

海外挑戦

無敗の二冠馬となったシンボリルドルフ。そのまま三冠達成を目指すものと思われたが、海外志向の強いオーナーはダービー後に海外レースへの挑戦プランを発表する。

当時の世界最高賞金レースだったアメリカのバドワイザーミリオンからヨーロッパ最高峰の凱旋門賞、そして帰国してジャパンカップという夢のようなプランだったが、ファンは目の前の無敗の三冠馬誕生を期待していた。結局、肝心のシンボリルドルフが右肩を痛めた影響で体調が整わず、海外遠征は見送られることとなる。

無敗の三冠馬誕生

三冠、菊花賞

右肩の怪我も癒えて迎えた秋初戦のセントライト記念をレコードタイムで圧勝すると、いよいよ無敗の三冠馬誕生に期待が高まる。菊花賞はシンボリルドルフとの対決を避けて回避する馬も出る中、18頭立てで行われた。単勝1.3倍と断然の1番人気シンボリルドルフは3枠5番。

皇帝

シンボリルドルフと岡部騎手は無理に前のポジションを取りに行くことなく、中団後ろ目につける。3000mの長丁場、後ろから4〜5頭目のインコースで序盤から中盤は静かに脚を溜めている。3コーナーから徐々に進出するが、内に包まれて(ウマ娘で言うとブロックされた状態だ)なかなか上がってこれない様子。

そして先頭集団が直線に向くと、内側の空いたスペースからようやくシンボリルドルフが現れた。あとはもう三冠馬へ向かって遮るものはなくなった。外から1頭、伏兵馬が一緒に伸びてくるが、交わされる気配を見せずにそのままゴールまで駆け抜けた。

三冠

こうして史上初の無敗の三冠馬が誕生した。岡部騎手は3本指を立てて三冠達成を控え目にアピールした。

また、前年のミスターシービーに続いて2年連続の三冠馬誕生となった。因みにその前の三冠馬であるシンザンからミスターシービーまでは19年の時が空いていた。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

初の敗戦、ジャパンカップ

前年の三冠馬ミスターシービーは、この秋に天皇賞を勝って四冠馬となっていた。三冠馬対決が注目されたジャパンカップでは先輩のミスターシービーが1番人気に支持された。シンボリルドルフは、菊花賞から中1週という強行日程ということもあり、有力海外勢に続く4番人気の評価。

そしてレースはそのどれでもない10番人気の伏兵馬、日本のカツラギエースが逃げ切り勝ちを収める。日本馬として初めてジャパンカップを制覇するという快挙は、2頭の三冠馬ではなく意外な馬によって成されたのだった。シンボリルドルフは中団から最後までしぶとく追い込んだものの3着。初めての敗戦だった。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

実はレース直前まで神経性の下痢で体調が万全ではなかったというシンボリルドルフ。そして日本のエースと見られていたミスターシービーは後方のまま見せ場なく10着に沈んでいる。

四冠、有馬記念

初めて黒星をつけられたシンボリルドルフ陣営は燃えていた。そして年末の有馬記念で、ジャパンカップ馬カツラギエースに真っ向勝負を挑む。この年の有馬記念はシンボリルドルフとミスターシービーの2度目の三冠馬対決にジャパンカップ馬カツラギエースを加えた三強対決となった。

燃える

ジャパンカップに続いて逃げ切り勝ちを狙うカツラギエースに、今度は逃げ切りを許すまいとシンボリルドルフは早めに2番手につけてぴったりマーク。ミスターシービーは後方3,4番手から前を伺う。シンボリルドルフは、直線入り口でカツラギエースに並びかけるとそのまま競り落として2馬身差をつけてゴール。直線で追い込んできたミスターシービーが3着だった。

レース前、野平調教師はジャパンカップで逃げ切りを許したカツラギエースに対してガチンコのマッチレースを仕掛けてもいいという主旨のことを岡部騎手に話していたそうだ。そして絶対逃さないとシンボリルドルフと岡部騎手は、2番手でいつでも追いつける距離を保ちつつカツラギエースに睨みを効かせていたのである。

※出典:『名馬を読む2』/江面弘也

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

4歳時

五冠、天皇賞(春)

年が明けて4歳となった四冠馬シンボリルドルフは順調に春シーズンを迎える。初戦の日経賞で格の違いを見せつけて余裕の逃げ切り勝ちを収めると、続く天皇賞(春)でシンザンに並ぶ五冠に挑む。三度目となる三冠馬対決、ミスターシービーとの二強対決の図式ではあったが、シンボリルドルフが1.6倍の抜けた一番人気。実際は一強ムードであった。

一騎打ち

シンボリルドルフは中団の10番手あたりから。ミスターシービーは後方2,3番手に控える。中盤を過ぎるとシンボリルドルフがジワッと前に進出して5番手あたりまで上がったところで、外から早めに動いたミスターシービーが3,4コーナーで一気に先頭に並びかけていく。

追い込んで届かないレースが続いていたミスターシービーが仕掛けてきたのだ。それを追うようにシンボリルドルフも動くと、直線に向いたところでミスターシービーは手応えがなくなり後退する。三冠馬が並び、そして交差していった。

シンボリルドルフはそのまま悠々と先頭でゴールして五冠を達成。シンザンの記録に並んだ。ミスターシービーは大きく離された5着に終わり、これが現役最後のレースとなった。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

ふたたび消えた海外挑戦

天皇賞のあと、順調なら宝塚記念を勝って海外挑戦というプランだったが、こんどは左肩を痛めて断念することとなった。そして、すでに十分な実績があったこともあり、一時はそのまま引退という案も出ていた。

療養しながら夏を過ごしていたシンボリルドルフを回復に向かわせたのは、なんとあの笹針治療だったというから驚きだ。グッジョブ、笹針師!

笹針

天皇賞(秋)

笹針治療で引退危機から脱したシンボリルドルフだったが、復帰戦は秋の天皇賞にぶっつけで挑まざるを得なかった。怪我明けで久々のレースという不安はあるものの、この五冠馬が春の2戦で見せた強さからして当然の1番人気。負けるわけがないという大方の予想は残念ながら裏切られてしまう。

調子が・・・

出遅れて後方からのレースとなり、中盤に差し掛かる向こう正面で一気に上がっていくシンボリルドルフ。久々のレースで出遅れの影響もありかかってしまったのか、それともペースを読んで意図的に上がっていったのかは分からないが、シンボリルドルフが初めて見せる少しチグハグなレースに見えた。

それでも最終コーナー手前で先行集団に加わってからは落ち着きを取り戻し、最後の直線でも競り合う他馬を力でねじ伏せたかに思えた。ところが最後に追い込んできた13番人気の伏兵ギャロップダイナに脚元をすくわれて惜しくも2着。前年のジャパンカップ以来となる皇帝の敗北に、ひどく落ち込むファンも多かったと聞く。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

六冠、ジャパンカップ

万全

敗けた天皇賞(秋)ではあるが、この馬の強さを再認識したレースでもある。完調とは言えない状態から休み明けでの出走で、スムーズさを欠いたレース運びでもあと一歩で勝ち切ってしまうというシーンを見ると、この馬はほんとに強かったのだな、と改めて思う。

そして続くジャパンカップでは、いつもの皇帝らしいレースぶりで前年3着の雪辱を晴らす。終始中団の外目を周り、直線では重馬場も苦にせず堂々と抜け出して、六冠目を手にした。これでシンザンの記録を抜いて当時の歴代最多となった。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

七冠、有馬記念

翌年は引退せずに海外遠征という計画が発表され、次の有馬記念が国内での最終レースということになった。

2連覇

そしてこの国内ラストランで見せたレースは、皇帝ルドルフのレースの中でも最も強いと言えるほどの勝ちっぷりだった。その年の二冠馬ミホシンザン以下を寄せ付けず圧勝したのだ。先行策から早めに先頭に立ち、直線で突き放す盤石のレースぶりはまさに皇帝シンボリルドルフらしい圧巻の走りだった。これで七冠。見事な国内ラストランだった。

実際のレース映像

引用元:JRA公式チャンネル

5歳時

海外挑戦という高い壁

国内で七冠を達成し、5歳となったシンボリルドルフが成すべき目標はオーナーの悲願である海外挑戦だけであった。しかし、これまで幾度となく体調不良などの理由で断念せざるを得なかった海外遠征は、最後まで順調なものではなかった。

オーナーサイドと調教師で出走させるレースについて意見の対立が起き、調教師抜きで海外へ旅立つことになったシンボリルドルフ。現地の厩舎に滞在して、予定ではアメリカからヨーロッパへと転戦して最終目標の凱旋門賞というプランだったが、アメリカでの最初のレース、サンルイレイステークスのレース中に故障を発症。このレースが引退レースとなった。

引退 そして種牡馬として

皇帝と帝王

帰国後は怪我の治療のために休養した後に有馬記念を二連覇した中山競馬場で引退式が行われた。そして翌春から種牡馬入りしたシンボリルドルフは、初年度産駒から歴史的名馬を送り出す。トウカイテイオーだ。

父と同じ無敗のクラシックロードを歩み、ダービーまで無敗で二冠を達成した息子は、たび重なる怪我を乗り越えて奇跡の名馬となった。ウマ娘のアニメ第2期を通じて描かれるテイオーの物語には、いつもテイオーを優しく見守る会長の姿がある。

会長とテイオー

ありがとう、ウマ娘。

ありがとう、シンボリルドルフ。

史実のシンボリルドルフ

基本情報1981年3月13日生 牡 鹿毛
血統父 パーソロン
母 スイートルナ(父 スピードシンボリ)
馬主シンボリ牧場
調教師野平祐二(美浦)
生産牧場シンボリ牧場(北海道・門別町)
通算成績16戦13勝(うち海外1戦0勝)
主な勝ち鞍’84皐月賞、日本ダービー、菊花賞、’84,’85有馬記念、’85天皇賞(春)、’85ジャパンカップ

エピソード①

ダジャレ好き

生姜

ウマ娘でのシンボリルドルフと言えば、生徒会長という堅苦しい肩書きにふさわしい立派な言動や威厳のある振る舞いばかりかと思いきや、ダジャレ好きというお茶目な一面を持っている。むしろそちらの可愛げのあるキャラのほうが印象が強く、とても魅力的なキャラクターとなっているのだろう。

皇帝

このダジャレ好き設定の由来は筆者自身よく分かっていないのだが、現役時代に「強すぎてつまらない」とか「いつも先行抜け出しで勝つレースに面白みがない」と言われていたことが関係しているのかも知れない。また、四字熟語を多用することでも有名だが、こちらも由来は不明だ。

四字熟語

エピソード②

Eclipse first, the rest nowhere.

会長室に掲げられている言葉で、「唯一抜きん出て並ぶものなし」という和訳があてられるイギリスのことわざである。会長がレースで勝利した時の決め台詞にもなっている。この言葉は、18世紀に実在したエクリプスという競走馬について表現したもので、直訳すると「エクリプスが一着、他の馬はどこにもいない」となる。

エクリプスのデビュー戦で、馬主がエクリプスの圧勝を予言する意味で発言したのがこの言葉だ。18世紀イギリス競馬、当時のレースは今の競馬のような形式ではなく、ヒートレースという耐久レースのようなものが主流だったらしい。1着馬から240ヤード以上離されると失格となる。というルールがあり、つまりこの馬主は、エクリプスが他の馬に240ヤード以上離してゴールするため「1着エクリプス以外は失格で誰もいない」という圧勝宣言をしたのである。

結果はその宣言どおりとなり、圧倒的な力の差を示す言葉としてことわざにまでなって語り継がれているのだ。エクリプスは競走馬として優秀だっただけでなく、(種としての)サラブレッドの基礎を作ったと言われる名馬である。

エピソード③

シンボリルドルフは実況泣かせ

「シンボリルドルフ」という馬名は、スムーズに発音することが難しいアナウンサー泣かせの名前だ。実際、ダービーでは実況アナウンサーがレース中に何度も噛んでしまうほどである。

そこから、ほとんどのアナウンサーが、注目を集める大レースで大本命馬の名前を噛むという失態を避けるために「シンボリ・ルドルフ」と、冠名のシンボリとルドルフの間にひと呼吸おくような慎重な発音をしている。

プロのアナウンサーが、おそらく何度も何度も練習した挙げ句に導き出した答えだったのだろう。それでもゴール前の緊迫した場面になると、もつれそうになる舌で必死にシンボリルドルフの名前を叫ぶアナウンサー達には敬意を表したい。これを踏まえてもう一度レース動画を観て欲しい。

レース映像

引用元:JRA公式チャンネル

この記事を書いたライター

ライターE
すっぴんちゃんBNW世代(93年~)から競馬を追いかけているガチガチの競馬ファン。最近は少し離れ気味だったが、ウマ娘をきっかけに競馬への情熱を取り戻す。
持ち前の競馬知識を活かして、ウマ娘ファンと競馬の間の橋渡しに少しでも貢献したいと思っている。

ライターEについて

  • 年齢:マルゼンスキーの1コ下らしい
  • 初恋の相手:エアグルーヴ
  • 推しウマ娘:ミホノブルボン、マルゼンスキー、会長、ビコーペガサス・・・みんなかわいい
  • 好きな競馬場:東京競馬場、大井競馬場(トゥインクル最高)

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