競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第8回。今回は異次元の逃亡者「サイレンススズカ」について熱く語ります。
不世出の快速逃げ馬
ウマ娘の象徴的存在の1つ
引用元:JRA日本中央競馬会
サイレンススズカと言えば、ウマ娘プリティーダービーの真の意味での象徴的存在の1人(1頭)ではないだろうか。ご存じの方のほうが多いかと思うが最初に触れておこう。サイレンススズカはレース中の怪我(による安楽死)で命を落とした悲運の名馬である。これを踏まえて、アニメ第1期においてスペシャルウィーク、スペちゃんの物語と同時に進行するスズカの物語は、ウマ娘ならではの「IF」の世界観をシンプルに、慎ましく表現している。
史実+IFのストーリーの中では、ひとつ下の最強世代であるスペちゃんをはじめ、エルコンドルパサーやグラスワンダーにも多大なる影響を与える象徴のような存在として描かれている。
ウマ娘のサイレンススズカと言えば、ただひたすらに走ることが好きで、アスリートのような美しいフォームで駆ける姿が印象的だ。実際、影すら踏ませず圧倒的なスピードで逃げ切り勝ちを収めるサイレンススズカは、実に気持ちよさそうに走っていた。競走馬として理想的とすら言われたその走りは、どのようにして完成されていったのか。
仔馬時代
小さくて華奢
サイレンススズカは、デビュー時の馬体重が436キロと軽い馬だったが、小さいというよりは華奢でスマートな馬という印象。ウマ娘のスズカのイメージそのままだった。
仔馬時代は、やはり小さくて華奢な馬だったようだが、関係者は持って産まれた身体能力を早くから評価していた。デビュー戦から3歳秋の神戸新聞杯までコンビを組んだ上村騎手は、サイレンススズカに初めて調教で跨った時の印象として「しびれるような感触だった」と語っている。※
※出典:『名馬を読む2』/江面弘也
3歳時
メイクデビュー
サイレンススズカのデビュー戦は3歳の2月と遅いが、デビュー前から調教で抜群の動きを見せていたため1.3倍の1番人気に支持される。この新馬戦をスピードの違いで逃げ切って7馬身差の大楽勝。瞬く間に注目の存在となる。
ゲートくぐり抜け事件
弥生賞後にソエ(骨膜炎)※が出て調教に遅れが生じたが、クラシック初戦の皐月賞になんとか滑り込ませたいサイレンススズカ陣営は、皐月賞の切符をかけてG2弥生賞に挑戦する。
管骨骨膜炎のこと。調教初期の若馬に多く見られる。骨が完全に化骨していない若馬に強い調教を行うと、管骨(第3中手骨)の前面で炎症を起こすことがある。
デビュー戦の勝ちっぷりが評価されて、キャリア1戦ながら2番人気の支持を受ける。ところがここで事件が起きた。
スタート直前までゲート内に付き添っていた厩務員がゲートの前扉をくぐって出るのを追うようにして、サイレンススズカ自身もゲートの下に潜ってくぐり抜けてしまったのだ。ゲートの前扉の下には隙間があるため、そこに頭を突っ込んで挟まってしまう馬は時々見ることがあったが、自力でくぐり抜けてしまうということは稀である。それだけ身体が柔らかいということなのだろう。とにもかくにも、馬も騎手も無事であったため、サイレンススズカは外枠からの発走で仕切り直しとなる。
大出遅れ
仕切り直しのスタートで、今度は大きく出遅れてしまう。そしてほとんど勝利圏外という位置でレースを進めたサイレンススズカは、最終コーナーでは前を射程に入れる位置まで追い上げるが、見せ場もここまで。さすがに消耗が大きく8着に終わった。この結果、皐月賞出走は断念せざるをえず、ダービー出走を目指して出直しとなった。
滑り込みでダービー出走へ
弥生賞後はゲート再審査※を経て、1勝馬クラスのレースをデビュー戦と同じ7馬身差で楽勝。
ゲート入り等に不安が見られた馬に課せられるテスト。これを通過しないとレースに出走できない。
ダービーへの最後の切符をかけてプリンシパルステークスに出走する。相手は弥生賞を勝って皐月賞6着だったランニングゲイルや、のちの菊花賞馬マチカネフクキタルなどの実力馬も出走していたが、2番手に控えるレースで勝利。このプリンシパルステークスは、サイレンススズカが逃げ切り以外で勝った唯一のレースとなった。
クビ差まで詰め寄ったのはマチカネフクキタル。この後何度も対戦することになる相手だ。こうして無事にダービーへの優先出走権を手にした。
不完全燃焼のダービー
滑り込みで出走権を手に入れた日本ダービーだったが、サイレンススズカにとっては不完全燃焼のレースとなってしまう。プリンシパルステークスで2番手に控えるレースができたため、ダービーでも同じように逃げずに抑える作戦をとったのだが、結果は9着と惨敗。3番手で進めて直線では見せ場もなく失速してしまった。
結果的には逃げたサニーブライアンが皐月賞に続く二冠制覇を達成したのだから皮肉なものである。上村騎手はこのレースについて「ぼくとサイレンススズカはずっと喧嘩しっぱなしだった」「なにかが切れてしまった」※と振り返っている。
※出典:『名馬を読む2』/江面弘也
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
軌道に乗れない秋
中距離路線へ
ダービーのあとは放牧で疲れを癒やし、北海道で夏を過ごしたサイレンススズカ。距離適性を考慮して、秋の目標を2000mの天皇賞(秋)に定める。始動レースは同じ2000mの神戸新聞杯となった。サイレンススズカのスピードを活かす逃げの作戦が奏功したかに思われたが、最後に手綱を抑えてスピードダウンしたところをマチカネフクキタルに差されて2着。
騎手自身が「油断した」と判断ミスを認めた悔しいレースだった。このレースのあと、デビューからコンビを組んできた上村騎手は降板となった。サイレンススズカと言えば武豊騎手のイメージが強いが、若い上村騎手とまだ完成途上だったサイレンススズカが見せた荒削りなレースぶりもまた印象に残っている。
なお、逆に軌道に乗ったマチカネフクキタルは、このあと破竹の4連勝で菊花賞を制することになる。
女帝、マイル王に完敗
神戸新聞杯後は、予定通り天皇賞(秋)に向かう。初めての古馬との対戦で果敢に先手を取って大逃げを見せるも、女帝エアグルーヴらに屈し6着。
続くマイルチャンピオンシップでは、同年代のタイキシャトルが初G1勝利を手にする一方で15着と大敗を喫する。タイキシャトルはこのあとスプリンターズステークスにも勝利し、翌年のマイル路線を席巻する。
武豊との出会い
天皇賞のあとに香港の国際レースへ招待されていたサイレンススズカは、この2戦で騎乗した河内騎手のスケジュール都合により香港での騎手が決まっていなかった。そこで、珍しく直談判して名乗りをあげたのが武豊騎手だった。香港の他のレースに騎乗予定だった武豊騎手は、新馬戦で見て以来ずっと気になっていたというサイレンススズカに騎乗するチャンスに、自ら調教師に声をかけたのである。
抑えない逃げに手応え
新たなパートナーを迎え、芝1800mのG2香港国際カップに挑むことになったサイレンススズカ。レースでは香港やヨーロッパの強豪を相手にハイペースの逃げを敢行し、5着という結果だった。しかしこのレースで無理に抑えないで気持ちよく逃げさせる戦法に手応えを得た武豊騎手は、翌年以降もサイレンススズカに乗ることを強く望む。そしてここから異次元の逃亡者と呼ばれるほどの快進撃が始まるのである。
4歳時
気持ちよく逃げて勝利
4歳となって初戦、オープン特別のバレンタインステークス。サイレンススズカの鞍上には武豊騎手がいた。わざわざこのレースのために関西から東京競馬場にやってくるほどの熱の入れようだった。そして、この芝1800mのレースを抑えず気持ちよく逃げて4馬身差をつけて楽勝した。
プリンシパルステークス以来となる久しぶりの勝利を味わった。この年の最大目標を2000mの天皇賞(秋)と早々に定めていた陣営は、この後も1800-2000mのレースを中心に出走させてゆく。
本格化
同じく芝1800mのG2中山記念も逃げ切って初重賞制覇を果たすと、中京競馬場で行われた小倉大賞典をレコード勝ち。サイレンススズカと武豊騎手は、自分のペースで気持ちよく逃げる作戦で3連勝と本格化。完全に軌道に乗った。
伝説の大差勝ち
そして、中京競馬場の芝2000mで行われるG2金鯱賞で伝説が生まれる。スタートからハイペースで飛ばしつづけると、後続を大きく引き離したままペースが落ちることはなく、大差をつけてレコード勝ちを収める。誰もがこの馬の凄さをはっきりと認識した。強い逃げ馬は数多く存在したが、こんな圧倒的な勝ち方はなかなか拝めるものではない。それほど衝撃的なレースだった。
宝塚記念
4連勝のあと、秋の天皇賞に備えて放牧に出される予定だったが、人気投票で選出された宝塚記念に出走することになる。疲労が少なかったことと、あまりの充実ぶりからの決断だったが、これに頭を抱えたのは武豊騎手だった。宝塚記念には、こちらも名コンビを組んできた女帝エアグルーヴでの参戦が決まっていたのだ。
急きょピンチヒッターとしてサイレンススズカに騎乗することになったのは南井克巳騎手。宝塚記念の距離2200mはサイレンススズカにとって少し長いかという微妙な距離でもあり、これまでのハイペースの大逃げではなく、後続をやや引きつけペース配分を考えた逃げを選択した。サイレンススズカはこの作戦に応える粘りを見せ、捉えようと迫るステイゴールド、エアグルーヴの猛追を凌ぎきって初G1制覇を遂げた。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
史上最高のG2レースへ
G1馬となり名馬の仲間入りを果たしサイレンススズカ。最大目標の秋の天皇賞に向けて死角はない。それを証明するのに十分なビッグマッチが、前哨戦となるG2毎日王冠で実現しようとしていた。毎日王冠に出走を予定していたのは、エルコンドルパサーとグラスワンダー。いずれもここまで無敗。エルコンドルパサーは5戦5勝でNHKマイルカップを制覇し、この秋は毎日王冠からジャパンカップを目指す。グラスワンダーは4戦4勝で制した前年の朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)以来、骨折休養明けのレースが毎日王冠だった。
G2毎日王冠
この空前の好カードとなった毎日王冠はG1並み、いやそれ以上の注目を集め、東京競馬場には13万人を超える観客が集まった。
この注目の一戦で、サイレンススズカは堂々とその能力を証明してみせる。サイレンススズカとその背中に戻った武豊騎手は速いペースの逃げで淡々とレースを引っ張る。先行集団から機会を伺うエルコンドルパサーと、やや出遅れ気味のスタートから中団5番手あたりを進むグラスワンダー。先頭のまま直線に向かうサイレンススズカを捉えようと先に仕掛けたのはグラスワンダー。4コーナーでスーっと2番手まで上がり、そのまま並びかけるかに思われたが久々の影響か伸びを欠き後退、その外から今度はエルコンドルパサーが2番手に抜け出してサイレンススズカを射程に入れる。が、そこから差が詰まらない。
サイレンススズカはそのまま失速することなくゴールまで駆け抜け、2馬身半差の2着にエルコンドルパサーが入った。3着とは5馬身の差が開いていた。グラスワンダーは5着だった。このビッグマッチを制したサイレンススズカと武豊騎手は、大歓声に応えるようにウイニングランを行う。G2レースでは異例のことだった。
天皇賞(秋)
毎日王冠を制し、最大目標の天皇賞(秋)制覇へ一点の曇りもないサイレンススズカ。もはや負ける要素を探そうとしてもまるで見当たらなかった。1.2倍の圧倒的な1番人気。行きたいままに逃げる自然体のレースで絶対の自信をつけていた武豊騎手も「オーバーペースで逃げます」といつもどおりのハイペース逃げを宣言していた。
宣言通り、スタートから軽快に飛ばしたサイレンススズカ。少しモヤがかかって見通しの悪い向こう正面では、7,8馬身〜10馬身の差をつけて逃げているようだった。普通の馬なら速すぎるペースも、この馬にとってそれが当たり前、勝ちパターンというふうに見ていた。大ケヤキを過ぎて3コーナーに差し掛かるというところで、異変に気づく。後続を映していたカメラが先頭に戻ると、サイレンススズカと2番手の馬との距離は急速に縮まっていた。2番手の馬に追い抜かれると、コーナーを曲がることなく画面の外へ消えていくサイレンススズカ。脚を痛そうにぎこちなくレースから離れる様子に、悪い予感しかなかった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
叶わなかった願い
レース中に発症した怪我は左前脚の手根骨粉砕骨折という重いもので、予後不良※の診断により安楽死処置が行われた。
怪我や病気の診断で治療による回復の見込みがないこと
あの時、ゴール後にテレビカメラは下馬した武豊騎手がサイレンススズカに手をかけてうなだれる様子を映し出していた。その姿は悲しすぎて忘れられない。武豊騎手は後に、「この日泣きながら酒を飲み、人生初の泥酔をした」とコメントしている。数々の名馬に跨り、多くの出会いと別れを繰り返してきたトップジョッキーが、と考えるとサイレンススズカがどれだけ特別な存在だったのか計り知れない。
「泣きながら酒を飲み、人生初の泥酔をした」引用元:Number Web
そして、アニメ第1期でスペちゃんが駆け寄って倒れ込むスズカを支える姿を重ねる。スペシャルウィークの主戦ジョッキーもまた武豊騎手である。ああ、このスペちゃんは私たちファンや武豊騎手の代弁者でもあるのだな。あの日の悲しみを忘れられない人たちが、あの日叶わなかった唯一の願いをIFの物語に託したのだな、と思う。
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、サイレンススズカ。
史実のサイレンススズカ
基本情報 | 1994年5月1日生 牡 栗毛 |
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血統 | 父 サンデーサイレンス 母 ワキア(父 ミスワキ) |
馬主 | 永井啓弍 |
調教師 | 橋田満(栗東) |
生産牧場 | 稲原牧場(北海道・平取町) |
通算成績 | 16戦9勝 |
主な勝ち鞍 | ’98宝塚記念、’98金鯱賞、’98毎日王冠 |
エピソード①
旋回癖
ウマ娘でも部屋の中を落ち着きなくグルグルと歩き周るスズカの姿が描かれているが、これは実際にサイレンススズカが仔馬時代から見せていた癖である。狭い馬房の中を高速でクルクルと周る癖は、母から離乳された直後から寂しさにより始めたらしい。そして周回するのは必ず左回りであり、左回りコース(東京競馬場や中京競馬場)が得意だったことにも少なからず影響していると思われる。
エピソード②
弟ラスカルスズカ
サイレンススズカの2つ下の弟にラスカルスズカという馬がいる。G1勝ちこそできなかったが、テイエムオペラオーやメイショウドトウらとG1戦線で好勝負を演じた。実は、アニメ1期でスペちゃんがフランスのブロワイエを迎え撃ったジャパンカップ。その元となったレースである1999年のジャパンカップでも一緒に走っており、ブロワイエのモデル馬と噂されているモンジューに次ぐ5着でゴールしたのがラスカルスズカである。日本馬ではスペシャルウィークに次ぐ順位だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
エピソード③
栗毛のサンデーサイレンス産駒
当コラムでもちょくちょくその名が出てくる大種牡馬サンデーサイレンス。サイレンススズカはその3世代目の産駒である。サイレンススズカと言えば綺麗な栗毛でも有名だが、サイレンススズカが仔馬の頃にはまだ栗毛のサンデーサイレンス産駒には活躍馬が出ておらず、父に似た青鹿毛、黒鹿毛といった黒っぽい毛色の産駒に活躍馬が多かった。
1年目の産駒ではフジキセキや皐月賞馬ジェニュイン、ダービー馬タヤスツヨシと軒並み黒鹿毛、青鹿毛といった黒い毛色であった。そのため「栗毛のサンデー産駒は走らないのでは」という噂もあったらしいが、G1馬以外では栗毛の活躍馬も1年目からそれなりにいたし、2年目の産駒から皐月賞馬イシノサンデーが出て杞憂に終わった。
他に栗毛のサンデーサイレンス産駒と言えばアグネスタキオン、その兄でダービー馬のアグネスフライト、ダスカの兄ダイワメジャーなど多くの名馬がのちに出現する。
エピソード④
翌年の宝塚記念で生まれた名実況
1999年の宝塚記念、サイレンススズカが亡くなった翌年、スペシャルウィークvsグラスワンダーの名勝負が行われたこのレースで生まれた名実況がある。競馬実況で数々の記憶に残る名フレーズを残されている杉本清アナウンサーによるその実況をご紹介する。宝塚記念は、年末の有馬記念と同じく、ファン投票により出走馬が選出されるドリームレースである。そして、杉本さんによるドリームレースお決まりの実況と言えば、スタート前に発せられる「今年もあなたの、私の夢が走ります。あなたの夢はどの馬ですか?私の夢は〇〇です」といったフレーズだ。
この年、杉本さんはいつものようにレース前にこのフレーズを語りだすのだが、前年の覇者サイレンススズカの思い出から始まり、「あなたの夢はスペシャルウィークか、グラスワンダーか。私の夢はサイレンススズカです」と力強く宣言する。そして「夢叶わぬとは言え、もう一度この舞台で、ダービー馬やグランプリホースと走ってほしかった」と締めるのである。
この記事を書いたライター
ライターE | |
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BNW世代(93年~)から競馬を追いかけているガチガチの競馬ファン。最近は少し離れ気味だったが、ウマ娘をきっかけに競馬への情熱を取り戻す。 持ち前の競馬知識を活かして、ウマ娘ファンと競馬の間の橋渡しに少しでも貢献したいと思っている。 |
ライターEについて
- 年齢:マルゼンスキーの1コ下らしい
- 初恋の相手:エアグルーヴ
- 推しウマ娘:ミホノブルボン、マルゼンスキー、会長、ビコーペガサス・・・みんなかわいい
- 好きな競馬場:東京競馬場、大井競馬場(トゥインクル最高)
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