競馬好きのライターが送るウマ娘コラム第22回。今回は、唯一無二のオールラウンダー「アグネスデジタル」について熱く語ります。
真の勇者は、戦場を選ばない。
不世出のオールラウンダー
引用元:JRA日本中央競馬会
万能、オールラウンダー。最近なら二刀流とも呼ばれたかも知れない。そのように形容される競走馬の頂点と言っても決して異論は出ないだろう。アグネスデジタルは、芝・ダート、良馬場・重馬場、JRA・地方、国内・海外・・・様々な条件で勝ち取ったG1勝利数は6。どのような条件でも最高レベルの走りができる異能の持ち主だった。
JRAポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピーを見てみよう。(ポスター画像はリンク先で見られる)
引用元:JRAポスター ヒーロー列伝(No.54)
そう、ウマ娘では変態的な部分がかなりクローズアップされているが、アグネスデジタルは勇者だった。どんな環境でも力を発揮し、時に期待以上の走りを魅せてくれる、カッコいい馬だった。
アメリカ生まれの外国産馬
外国産馬の出走権
前回マルゼンスキーの回で外国産馬と持込馬の違いを説明したが、アグネスデジタルはアメリカ産まれの外国産馬である。マルゼンスキーの時代からはだいぶ変わり、持込馬は内国産馬と同様の扱いとなり、外国産馬も条件付きで天皇賞などに出走できるようになっていた。
なおアグネスデジタルが3歳の2000年当時、クラシックレースに関してはまだ外国産馬の出走は認められておらず、翌年の2001年から段階的に開放されていった。
2歳時
デビュー前
アグネスデジタルが購入された当時は、小柄で華奢な目立たない馬だったそうだが、2歳になって育成牧場で本格的な調教が始まる頃には、栗毛のきれいな美形に成長していた。
メイクデビュー
デビュー戦は2歳の9月。父系の血統からはダートの短距離が向いていた。初戦の阪神競馬場、ダート1400mでデビューするも7馬身差の2着。3週後の2戦目、ダート1200m戦で1.2倍の1番人気に応え、2着に3馬身差をつけて順当に勝ち上がる。
しばらくはダートで
3戦目で初めて芝のレースに出走するが、見せ場なく8着に敗れる。そしてしばらくはダートの短距離~マイルのレースを使われることに。5戦目の東京ダート1600mで2勝目をあげると、地方競馬の2歳チャンピオン戦である全日本3歳優駿(現・全日本2歳優駿)に狙いを定める。
川崎競馬場のダート1600mで争われる同レースではJRA2勝の実績を買われて1番人気。これを2馬身半差で快勝して2歳シーズンを終える。
3歳時
芝レースへ
2000年。3歳となったアグネスデジタルは初戦の東京ダート1600mのヒヤシンスSで3着となると、3戦目以来となる芝レースに進出。外国産馬にとっての最大目標であるNHKマイルカップを目指す。
まずは中山芝1200mのG3クリスタルカップ。中団から伸びて3着に入り、芝でも上位に食い込んで見せた。続く中山芝1600mのG2ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(現・ニュージーランドトロフィー)では、前年の朝日杯勝ち馬で同世代のNo.1外国産馬エイシンプレストンにクビ+クビ差の惜しい3着となった。
NHKマイルカップ
初のG1挑戦となるNHKマイルカップでは、重賞レース連続3着が評価され、4番人気の伏兵として人気を集める。しかしながら中団追走からしぶとく粘るものの7着に終わり、これで3歳春の芝レースへの挑戦は一旦の区切りとなった。
再びダートへ
舞台は再びダートへ戻る。地方競馬の名古屋優駿(G3)を勝ち、ダートで4勝目を挙げると大井競馬場で行われる地方競馬(南関東)のクラシックレース最高峰、ジャパンダートダービーに登場。堂々の1番人気に支持される。しかし自身初となる2000mの距離もあってか直線で失速し14着と大敗してしまうのだった。
およそ2ヶ月の休養ののち、中山ダート1800mのG3ユニコーンステークスを快勝。中央の重賞制覇は初であったが、このレースでは自身のキャリアで最も軽い馬体重の438キロだった。続いて東京競馬場ダート1600mのG3武蔵野ステークスで2着。ダートなら4歳以上の古馬とも互角以上にやれることを証明した。
ダートか、芝か
普通であれば、アグネスデジタルのここまでの戦績からすると秋の目標レースはダートのG1ジャパンカップダート(現・チャンピオンズカップ)になりそうなところだが、陣営は2100mという距離に迷っていた。そして主戦の的場騎手の進言もあり、距離適性を重視して芝のマイルチャンピオンシップへの挑戦が決まった。
13番人気でG1初制覇
マイルチャンピオンシップ
芝での実績に乏しいアグネスデジタルは、13番人気。確たる中心馬はおらず混戦模様だったが、同世代では朝日杯勝ち馬のエイシンプレストンや皐月賞2着馬ダイタクリーヴァ、古馬では短距離G1を制しているキングヘイローやブラックホークなど実力馬が揃っていた。
スタートすると、芝G1レースの速い流れについていけずアグネスデジタルは後方からとなる。道中は終始15番手あたりを進み、そのまま直線へ。先行勢と中団から差してくる馬たちが競り合う中、まったくの画面外にいたアグネスデジタルが驚異的な末脚を繰り出し、先に抜け出したダイタクリーヴァ以下をまとめて差し切った。1分32秒6の勝ちタイムは京都1600mのコースレコードというおまけ付きだった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
4歳時
芝のマイル路線を歩むも
低評価ながら初G1制覇を成し遂げたアグネスデジタルは、翌年は芝のマイル路線を歩む。しかしマイルチャンピオンシップ以前は芝のレースで未勝利だった馬だ。マイルチャンピオンシップではたまたまハマったぐらいに思われていた。実際、なかなか成績もあがらず京都金杯3着、京王杯スプリングカップ9着、安田記念11着と振るわなかった。
覚醒
秋に一変
4歳春は未勝利に終わり、3ヶ月の休養を挟んだ9月。アグネスデジタルは地方の船橋競馬場にいた。久しぶりとなるダートで本来の走りを取り戻したかのように快勝。弾みをつけて向かった先は、地方競馬の盛岡競馬場で行われるダートG1マイルチャンピオンシップ南部杯だった。
南部杯
ダートでは主役を譲れないとばかりにアグネスデジタルは1番人気の支持を集める。そして人気に応えダートの実力馬ウイングアローや同年のフェブラリーステークス覇者ノボトゥルーらを抑えて優勝。芝・ダートの両方でマイルチャンピオンシップを制覇した。
天皇賞(秋)へ
南部杯のあと、再び中央の芝G1戦線を目指すアグネスデジタルは、外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)への出走を表明すると、これが物議を醸すこととなる。
古馬中長距離路線では世紀末覇王テイエムオペラオーとそのライバルであるメイショウドトウの2強が長らく君臨しており、メイショウドトウは外国産馬。2頭の出走枠の内のひとつはすでに埋まっていた。
残りの枠はひとつ。参加が期待されていたのはその年NHKマイルカップを勝った3歳馬、クロフネだった。クロフネ陣営も天皇賞への参加を表明していたが、ここに待ったをかけたのがアグネスデジタルだった。
南部杯を制して賞金を上積みしたことで天皇賞への出走条件を満たしたアグネスデジタルが出走することになり、その結果クロフネは除外。クロフネへの期待の大きさから、アグネスデジタルに対しては「ダート馬がどうせ勝てないのに邪魔をするな」というような辛辣なコメントも寄せられた。
天皇賞(秋)
そんなゴタゴタもありながらも天皇賞に駒を進めたアグネスデジタル。オッズは上位3頭から大きく差の空いた20.0倍の4番人気となる。
この日、東京競馬場は雨により重馬場に。これは道悪も苦にしないアグネスデジタルにとっては恵みの雨となる。
迎えたレース本番、先行したテイエムオペラオーが逃げるメイショウドトウを交わし、楽々と勝利するかと思われた最後の直線、またしても直線一気の末脚を繰り出したアグネスデジタルが豪快に差し切って優勝。
この時、アグネスデジタルの四位騎手は陣営から馬場状態のマシな大外を使うように言われており、「観客席に向かって走れ」という指示があったと語っている。
外国産馬による天皇賞制覇は45年ぶり。グレード制導入後は初めてとなる快挙だった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
香港カップ
芝で2つ目のG1勝ちをおさめ、勢いに乗ったアグネスデジタルはマイルチャンピオンシップの連覇ではなく、香港の芝2000mのG1香港カップへの遠征を選択。そして見事に勝利をおさめてG1を3連勝。
こんどは追い込みではなく、先行策から押し切る強い勝ち方だった。また、マイルチャンピオンシップや天皇賞の勝利が紛れもない実力によるものだと証明する価値ある1勝でもあった。
5歳時
フェブラリーステークス
地方のダート、中央の芝、海外の芝、と異なる条件でG1レースを3連勝。アグネスデジタルは、その傑出した万能性が超一流のものであることがようやく認められるようになった。そして当たり前のように今度はダートのG1フェブラリーステークスへ向かうのだ。
このレースを勝って、ドバイワールドカップへ。目標を当時の世界最高賞金レースであるドバイに定めたアグネスデジタルは、1番人気に応えてフェブラリーステークスを勝利。前年の秋からつづくG1連勝記録は4となり、4戦続けてG1レースに出走して勝利するというのは史上初の快挙であった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
ドバイワールドカップ
どんな環境でも力を発揮してきたアグネスデジタルが挑むのは世界最高賞金のドバイワールドカップ。しかし、輸送時のトラブルで香港に足止めされるなどで調整に狂いが生じたこともあり万全の状態で臨むことが叶わなかった。
結果は6着。しかしこのままただでは終わらないのがアグネスデジタル。帰りに香港経由で出走したG1クイーンエリザベス2世カップで僅差の2着。勝ったエイシンプレストンと共に、日本馬による海外G1でのワンツーという初の快挙を達成したのだった。
6歳時
長期休養を経て
海外遠征後、さすがに疲れが出たアグネスデジタルは、復帰までに自身初めてとなる長期休養をはさむ。約1年のブランクのあと、6歳となったアグネスデジタルは地方のダート重賞かきつばた記念で復帰を果たす。
馬体重は23キロも増加してデビュー以来最高の472キロ。結果は4着だった。そしてまた中央の芝G1である安田記念に登録するのだが、この変則的な、いや変態とまで言われたローテーションにももはや誰も驚かなくなっていた。
安田記念
確固たる主役不在のマイル路線において、本来であれば海外G1を含むG1レース5勝というアグネスデジタルは断然の実績なのだが、元来あまり人気の出ないタイプであることに加えて長期休養明けの地方ダートG3戦での4着も影響してか4番人気。
しかしここで奮起するのがアグネスデジタルという馬である。伏兵扱いをあざ笑うかのように鋭く伸びて接戦を制する。しかもオグリキャップの記録を13年振りに更新するコースレコードを叩き出すのだから恐れいった。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
これで実に6つ目のG1制覇となり、当時シンボリルドルフとテイエムオペラオーの7勝に次ぐ記録を樹立。加えて4年連続のG1勝利は史上4頭目。この馬が勝つと、いつも何かしらの大記録がついてくるのだ。
数々の偉業を残し引退
安田記念の勝利が最後の1着となったが、このあとも宝塚記念→盛岡のマイルCS南部杯→天皇賞(秋)と独自のローテーションで各地の芝・ダートを転戦。有馬記念9着を最後に引退した。
全12勝のうち、JRAの芝レースを勝ったのは13番人気のマイルチャンピオンシップ、4番人気の天皇賞、4番人気の安田記念。この3つのG1レースだけである。あとは地方競馬を含む各地のダート戦と、香港の芝レースのG1。芝の良馬場、重馬場、ダートの良馬場、重馬場。
本当にあらゆる条件のレースで素晴らしい結果を残した稀有なスーパーホースだった。そしてなぜかいつも勝ったあとに驚きを伴うという、意外性のある超個性派でもあった。
追悼・アグネスデジタル号
最後になったが、先日とても残念なニュースが報じられた。余生を過ごしていたアグネスデジタルが、放牧中の事故により亡くなった。24歳だった。敬意を込めて「変態オールラウンダーよ永遠に」
ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、アグネスデジタル。
史実のアグネスデジタル
基本情報 | 1997年5月15日生 牡 栗毛 |
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血統 | 父 Crafty Prospector 母 Chancey Squaw(父 Chief's Crown) |
馬主 | 渡辺孝男 |
調教師 | 白井寿昭 |
生産牧場 | 米国 |
通算成績 | 32戦12勝(JRA:21戦7勝、地方:8戦4勝、海外:3戦1勝) |
主な勝ち鞍 | ’00マイルチャンピオンシップ,’01マイルCS南部杯,’01天皇賞(秋),’01香港カップ,’02フェブラリーステークス,’03安田記念 |
生涯獲得賞金 | 7億3092万円(国内),1320万香港ドル(香港)ほか |
エピソード
クロフネについて
外国産馬の出走枠をめぐって物議を醸したことは本文中に紹介したが、その相手となったクロフネについて触れておきたい。
アグネスデジタルの参戦によって天皇賞を除外されたクロフネは、同じ週の土曜日に行われたダートのG3武蔵野ステークスに出走。これが衝撃の9馬身差、ダート1600mのJRAレコードでの圧勝となり、その後ジャパンカップダート(現・チャンピオンズカップ)もJRAレコードで圧勝。瞬く間にダート界の史上最強馬にまで上り詰めた。
種牡馬としても目覚ましい成績を残しており、今年の桜花賞を制した白毛のソダシも彼の子供の1頭である。
レース映像
引用元:JRA公式チャンネル
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