競馬好きのライターが送るウマ娘コラム。今回は4周年を迎えたウマ娘の最新育成ストーリー「The Twinkle Legends」に登場する、三人のレジェンドウマ娘たちを紹介していく。
三人のレジェンドウマ娘
「The Twinkle Legends」に登場
ウマ娘プリティーダービーの4周年を祝う「ぱかライブTV」で発表されたてんこ盛りの新情報。当コラムでどこから手を付けたものか悩んだ末に、まずは新しい育成シナリオに登場する三人のレジェンドウマ娘に注目することにした。
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セントライト、スピードシンボリ、ハイセイコー。4周年に先駆けてビジュアルが発表されていたこともあり、洞察力に優れたトレーナーによって予想されてはいたが、いざ発表されるとやはりそのインパクトは大きかった。
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何しろモデルの競走馬はいずれも殿堂入りのレジェンドたち。三女神の三人は別として、これまでウマ娘に登場した中ではもっともお姉さんだったマルゼンスキーよりもさらに遡らねばその名は出てこないのである。
三人はトレセン学園関係者
公式のキャラクター紹介ページでは「ウマ娘」ではなく「トレセン学園関係者」に属していることから、三女神や海外のライバルウマ娘のようにシナリオのゲスト的なポジションなのだろう。さすがに育成対象としては期待しすぎかもしれない。
それでも筆者のような古参競馬ファンにとっても過去の文献や資料でしか知り得ないような伝説的な競走馬が、時を越えてウマ娘になって登場することに感激を覚えるというものだ。なぜ彼女たちがレジェンドと呼ばれるのか、少しでも史実を知って思いを馳せよう。
セントライト
公式プロフィール
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史上初のクラシック三冠ウマ娘。 イギリスのさる高名な貴族のもとに生まれ、日本で育った彼女は、早々に己の使命を自覚。 “レース界に、誇りある栄冠の道を作る” 見事達成した後、現役生活を1年で引退した。 現在は故郷に隠居し、レース事業を支援中。
史実のセントライト
基本情報 | 1938年4月2日生 牡馬 黒鹿毛 |
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血統 | 父ダイオライト 母フリッパンシー(父フラムボヤント) |
生産者 | 小岩井農場 |
馬主 | 加藤雄策 |
調教師 | 田中和一郎(東京) |
戦績 | 12戦9勝 |
主な勝ち鞍 | 1941年 クラシック三冠(皐月賞、東京優駿競走、京都農林省賞典四歳呼馬) |
ここがレジェンド:史上初の三冠馬
セントライトは、日本競馬史上初のクラシック三冠馬である。セントライトが競馬史に燦然と輝くその偉業を成し遂げたのは1941年、太平洋戦争が勃発した年である。
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現在のJRA日本中央競馬会の前身にあたる日本競馬会によってクラシック三冠競争が整備されたのは、1932年にダービー(東京優駿競走)、38年に菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、39年に皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)であり、セントライトがこれら三冠レースを制覇したのは確立してわずか三年目のことだった。
その後、セントライトに続いて二頭目の三冠馬となったのが1964年のシンザンであるから、セントライトが三冠馬となった41年から実に23年もの間、次の三冠馬は現れなかったということだ。
そのためか、時を経るにしたがってセントライトが成し遂げたクラシック三冠制覇という偉業に対する評価は高まっていったようだ。
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戦績
セントライトが競走馬として現役生活を送ったのは、三冠を達成した1941年のわずか1年間。その年の3月にデビューして、10月の菊花賞を最後に引退したから、実質的にはもっと短く8ヶ月ほどであった。
デビューはかつて横浜市根岸にあった横浜競馬場(通称・根岸競馬場)。馬運車がない時代だから、厩舎のある東京競馬場から横浜競馬場までの移動は自らの脚で歩いて数時間かけて移動していたという。
短い間隔でレースに使うのも当たり前で斤量も重い。セントライト自身も4連闘、5連闘というハードなローテーションで時には68キロもの斤量を背負った。
何もかもが今とは違う。そんな時代に生まれた日本初の三冠馬がセントライトなのである。
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エピソード:デビュー戦は人気薄
現在の馬齢表記でいう3歳の3月に横浜競馬場でデビューしたセントライトは、当時としてはかなり大型の500キロ近い雄大な馬体があまり好意的に見られなかったこともあり、12頭立ての7番人気という低評価だった。しかしながら5馬身差をつけて楽勝し、単勝は当時の上限倍率であった10倍をつけて穴馬券の立役者となった。のちの三冠馬のデビュー戦がこれほどの人気薄とは意外である。
スピードシンボリ
公式プロフィール
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日本から初めて『凱旋門賞』の頂を目指した海外レース挑戦のパイオニア。 現在はURAの海外事業部を管轄している。 世界のレースで勝利するという夢を追い、精励恪勤と飛び回る彼女に心酔する者は多い。 シンボリ家の親戚たちを気にかけている。
史実のスピードシンボリ
基本情報 | 1963年5月3日生 牡馬 黒鹿毛 |
---|---|
血統 | 父ロイヤルチャレンヂャー 母スイートイン(父ライジングライト) |
生産者 | シンボリ牧場 |
馬主 | 和田共弘 |
調教師 | 野平富久(中山)→野平省三(中山) |
戦績 | 43戦17勝(JRA 39戦17勝、海外 4戦0勝) |
主な勝ち鞍 | 1967年 天皇賞(春)、1969,70年 有馬記念 |
ここがレジェンド:海外挑戦の先駆者
スピードシンボリは、日本馬による海外挑戦の先駆者である。大器晩成型で2歳から7歳までタフに走り続け「無事是名馬」を体現した馬でもある。
5年2ヶ月にわたる現役生活の中で、4歳時にアメリカ、6歳時にヨーロッパと二度の海外遠征を敢行。二度目は長期滞在であった。まだ海外への輸送や現地での滞在・調整方法など海外遠征のノウハウなど皆無の時代のことである。
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最高着順は米・ワシントンDC国際と英・キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでの5着があり、仏・凱旋門賞にも挑戦した。
近年では、欧米に限らず中東、香港など海外のビッグレースに日本馬が出走することは珍しくなくなった。つい先日も中東の地でわれらがフォーエバーヤングを筆頭に日本馬が躍動したことが記憶に新しいが、そこに至るまでの海外挑戦の歴史はこのスピードシンボリから始まったと言って過言ではないのである。
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戦績
スピードシンボリが本格化したのは古馬になってから。クラシックは菊花賞のハナ差2着が最高着順で、4歳時に天皇賞(春)を勝って八大競走初制覇。通算で重賞12勝をあげ、これはグレード制が導入された以降もオグリキャップ、テイエムオペラオーの2頭が並ぶのみで、最多重賞勝利数として今も残っている。
八大競走3勝(天皇賞・春、有馬記念連覇)のうち、特筆すべきは有馬記念の連覇。6歳→7歳という高齢での連覇は史上類を見ないため、スピードシンボリと言えば「遅咲きのステイヤー」というイメージが定着している。
貴重なレース映像
引用元:JRA公式チャンネル
二度の海外遠征での通算成績は4戦0勝。4歳時に天皇賞・春を制したあとに米・ワシントンDC国際の招待を受けてアメリカに遠征し9頭立ての最低人気で5着。
そして二度目となった6歳時の遠征では長期滞在によるヨーロッパ転戦を敢行。7月の英・キングジョージ(5着)を皮切りに、フランスへ渡ってドーヴィル大賞典(10着)から最終目標の凱旋門賞(11着以下で入線)というローテーションを調整に苦労しながらも走りきった。
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有馬記念の連覇はこの長期遠征のあとなのだから、スピードシンボリのタフさと成長力は並外れていたのだろう。
エピソード:そして皇帝へ
種牡馬としては、八大競走を親子制覇するような大物は出てこなかったが、スイートルナという一頭の牝馬がスピードシンボリの血を後世に継いだ。のちの七冠馬・シンボリルドルフの母である。
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ハイセイコー
公式プロフィール
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国中から成長を見守られ、愛されて、最初のレースブームを巻き起こした立役者。 現在はアイドルとして変わらずファンを熱狂させている。 天真爛漫でハートが強く、どんな困難もタフに乗り越えてきた。 現役時代は“怪物チャン”とも呼ばれた鉄人。
史実のハイセイコー
基本情報 | 1970年3月6日生 牡馬 鹿毛 |
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血統 | 父チャイナロック 母ハイユウ(父カリム) |
生産者 | 武田牧場 |
馬主 | ㈱王優→ホースマンクラブ |
調教師 | 伊藤正美(大井)→鈴木勝太郎(東京) |
戦績 | 22戦13勝(地方競馬 6戦6勝、JRA 16戦7勝) |
主な勝ち鞍 | 1973年 皐月賞 |
ここがレジェンド:元祖アイドルホース
ハイセイコーは、地方の大井競馬から中央へ移籍して絶大な人気を誇った元祖アイドルホースである。第二次競馬ブームの立役者となったオグリキャップが中央へやってきたのが1988年。その15年前の1973年に中央入りしたハイセイコーが日本中を熱狂させたのが第一次競馬ブームと言われている。
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戦績(大井時代)
南関東の大井競馬でデビューを迎えたハイセイコーは、2着に8馬身差をつけそれも持ったままで楽々とレコードを叩き出し鮮烈なデビューを飾る。デビュー前から評判になるほどの素質馬だったハイセイコーは、ここから瞬く間に大井のスターへと駆け上がっていく。
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その後も向かうところ敵なしの6連勝。いずれも圧勝で、デビュー戦から2着につけた着差は、8馬身、大差、8馬身、大差、7馬身、7馬身。
負かした馬の中には、のちに中央入りして重賞を勝つような実力馬も含まれており、さすがに「大井に怪物がいる」と騒がれることとなった。
レースを重ねるごとにハイセイコーの人気もうなぎのぼりに上昇し、6戦目の重賞・青雲賞(現・ハイセイコー記念)などはスタンドをファンが埋め尽くしたという。
戦績(中央時代)
3歳になって早々に中央競馬への移籍が決定。移籍初戦の弥生賞では、初めての中山競馬場、芝のレースに戸惑いを見せながらも勝利を収め、続くスプリングステークスも連勝。大井で見せた圧勝劇とはいかなかったが、それでも無敗を守ったままクラシック一冠めの皐月賞へ駒を進めた。
この頃にはすでに中央での人気も凄まじく、1番人気でスタートを迎えた。芝の重馬場は初めてだったが、見事に期待に応えて優勝。地方から中央へ移籍した馬が無敗のクラシックホースにまで上り詰めた物語に日本中が熱狂し、ハイセイコーの人気は社会現象化するほどの最高潮へと達していったのである。
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その後、ダービーで3着となって初黒星を喫したが、同世代のタケホープとのライバル関係なども後押しして4歳の有馬記念をラストランに引退するまで競馬ブームを牽引した。
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エピソード:ハイセイコーブーム
当時のハイセイコーの人気を示す代表的なエピソードをいくつか紹介したい。まずは、皐月賞馬となり、ダービー前に出走したNHK杯の入場者数。東京競馬場に初見参するハイセイコーをひと目見たいがために16万9千人を超える、当時の中央競馬の最多入場者数を記録した。G1でもないにも関わらず、である。
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また、この年の年度代表馬選考において「大衆賞」と称して特別賞が贈られた。これはJRA賞の歴史の中で初めてのことだった。
そして、有名なエピソードが中央での主戦を務めた増沢末夫騎手歌唱による楽曲「さらばハイセイコー」。引退レースの有馬記念では、優勝したタニノチカラよりも5馬身後ろで繰り広げられたハイセイコーとタケホープの2着争いがクローズアップされ、BGMには発売前の「さらばハイセイコー」が流されたという、ハイセイコーの人気を象徴するシーンが生まれたのである。
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顕彰馬
殿堂入りのレジェンド
このレジェンド三頭の共通点は、JRAの顕彰馬に選出されていることである。
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JRA顕彰馬とは、中央競馬の発展に特に貢献があった馬および調教師または騎手について、その功績を讃え、顕彰を行う制度として日本中央競馬会30周年記念事業(昭和59年=1984年)の一環として発足したものである。
セントライトとハイセイコーは発足元年である1984年にシンザンらとともに選定され、スピードシンボリは1990年にそれぞれ選出され競馬の殿堂入りを果たしている。
競馬博物館
顕彰馬は、東京競馬場内にあるJRA競馬博物館に当時の記録とともにブロンズ像や肖像画が展示されており、競馬史に刻まれたその功績を知ることができる。
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育成シナリオ中にも競馬博物館の館内と思われる背景のシーンがあったりする。これを期に殿堂入りしたレジェンドホースに興味を持った方は東京競馬場観戦の際に訪れてみるのもいいだろう。
そこには、まだ殿堂入りして間もないアーモンドアイ(令和5年選出)の名前も刻まれている。「The Twinkle Legends」の隠しライバルとして彼女が登場するのも、顕彰馬繋がりということであろう。
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ありがとう、ウマ娘。
ありがとう、レジェンドホース!
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