黒猫のウィズについて質問してみよう。
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黒猫のウィズの回答詳細
漢字検定準1級レベルかな。
とすれば、苦手な人は苦手でしょうね。高卒以上ですから。
でも、だとするとどうでしょうかね、このレベルの漢字を使う表現が嫌だとなると、芥川龍之介や夏目漱石なども厨二っぽいと思ってしまうんじゃないでしょうかね。泉鏡花あたりを読んだら昏倒しちゃうんじゃないでしょうか。
いや、それはないかな。純文学を純文学として読む時には気にならないけれども、こういうシナリオでこんな表現が多用されると食傷感を覚えるという可能性はあります。では、なぜそのシナリオがこういう表現を多用するんだろうということ考えるにあたってちょっと実験してみます。
挙げられた文章を試しに書き換えてみましょうかね。
よわむしさんなきもちをぶっこわして、ぐうたらさんなきままをほろぼしちゃうもの。
ぼたぼたながれるなみだやぎざぎざこころをきざむはじらいやきっぱりとおもいきったわかれをのせてひとたびふりかざす。そこにはこれっぽっちもまよいはない。
このいのちがおわるまでといういきおいのきりかかり。ぬのをひきさくようなはげしいきあい。
うわあ、読みづらい。私はこの方が苦手です。そりゃ誰だってそうか。
でも、これだとやっぱり八百万や和の国の世界観じゃないですよね。
それはそうと、実際解読してみればこの通りで、中身なんて大したこと言ってないんですね。ただ、漢字の視覚的効果は文字数圧縮の効果があります。仮に読み方を知らなくとも、なんとなく話の流れから意味を推測することができるというのがいいところではあります。これは極論だとしても、ではもっと水準的な表現を使えばいいじゃないかというご意見もおありのことと思います。慥かに尤もだとは思いますが、それではいかにも陳腐なものに堕してしまうということがままあるのです。
抑もですが、「厨二っぽい」という言葉に秘匿されたご質問者様の思いや如何にと忖度しますと、それは決して「自分を包摂した一般人にとって俄かに理解し難い何やら賢しらぶった表現を用いることで、要領を得ない者を嗤笑されているような不快感がある」などといったことではなく、屹度「知識にない語句が登場することで脳が逐一停止せざるを得なくなることに辟易する」のではないかと思います。ただ、私はこうした表現技法を「厨二っぽい」とは感じていません。すでにお気付きの方もいらっしゃると思いますが、私はここで難解な熟語を其処此処に鏤めて回答していますが、これは「厨二っぽい」態度としてではないのですよね。聊か「衒学的」であり、教養趣味なものであると思うのです。普段から純文学作品などを精読する者にとって、こうした語句を用いるだけで「厨二っぽい」と受け止められるのは、それが「厨二っぽい」とされる世界の中でしか触れたことのないイディオムであると認識されたのだろうな、と感じてしまい、厨二ラノベの弊害にそこばくの索漠を覚えてしまうのです。
いわゆる厨二「ラノベ」が、"ライト"すぎてからっぽな内容をなんとか埋めたくて"ノベル"要素の装飾として巷間には晦渋と思しき表現を擅にしたのが濫觴ではないかと思います。あるいは読者に「自分は何か読み応えのあるものを読んでいるのだという感覚」を齎すための小道具であるに過ぎないと言えるかもしれません。だとしたら、そこにはあんまり意味などないのです。そういうのは雰囲気として読み飛ばすのがよろしいと思います。
身もふたもない話をしてしまえば、ウィズのシナリオなんて、「どこかの世界にやってきたら、誰かしら敵みたいな存在がいて、なんやかや複雑な事情があって裏切ったりなんだりがあって、でも本当はいいやつだったみたいな話があったりして、最終的には問題を解決してこの世界とさよなら」なんてざっくりしたものなんで、真面目に一言一句考えながら読もうという人には向かないものです。
「需要の有無」という点に関しては、需要があるからこのように描写されるとか、需要がなければこのようには描かれない、とかいったことはないと思うので、「ライターさんがこのように書きたかった」ということをそのまま受け止めたらいいんじゃないでしょうかね。それを読むのが面倒というのは、読み手の感受性の問題なんで、ライターに責任はありませんし。
↓は八百万4覇級の冒頭に出てきた文章の一部です。
怯懦を破壊し、安佚を滅するもの。
滂沱と慚愧と決別を乗せた一振り。寸毫も迷いはない。
畢生の斬撃。裂帛の気合。
ストーリーの展開は良いと思いますが、
こういう難しい漢字を使った厨二っぽい表現が苦手で、
読んでてテンポ悪くなるし、
興醒めしてストーリーに入り込めません。
メアレスみたいに
「修羅なる下天の暴雷よ、千々の槍以て降り荒べ!」
とか声優がセリフ言うだけならまだ良いですが、
読まされるのは苦手です。
こういう表現が本当に需要があるのか、
ちょっと気になったので質問させて頂きました。
こういうのが好きと言う方、
私と同じように苦手と言う方、
様々な意見あると思いますが、
よろしくお願いします。
回答ありがとうございます。難しい漢字を多用するだけで厨二っぽいとは思いませんが、無理して格好つけた表現になると厨二っぽいと感じます。「知識にない語句が登場することで脳が逐一停止せざるを得なくなることに辟易する」、まさにこれですね。
うむ、まさにそこですよね。「無理して格好つけた表現をしている」かどうかは読む側の感覚であって、ライターはそうは思ってないかもしれない。無理なく格好つけた表現をすることができる才能の持ち主なのかもしれない。何をもって厨二っぽいと感じるかという線引きの感性が人それぞれである以上、それは感じ手のセンシティヴな内面の問題に収斂されていくため、共感者を募ってみたり正反対の意見を求めてみたりしたところで、何が解決するというわけでもないのですよ。また、人によっては「これって厨二っぽくないですか」と評論すること自体がものすごくダサいと感じるなんてこともありうるでしょうから、どこまでも主観的な問題というのは厄介だなあ(というのもまた私の主観になるわけですが)。