あらゆる満足、あるいは人々が通例幸福とよんでいるようなことは、元々本質的にいえばいつも単に消極的なことにすぎないのであって、断じて積極的なことではあり得ない。それは元々向こうから我々の方におのずと近寄ってくる祝福ではなく、いつの場合もなにかの願望の満足といったことであるほかはないものである。願望、すなわち欠乏があらゆる享楽を成り立たる先行条件である。ところが願望が満足されると、その願望も、したがってまた享楽もなくなってしまうであろう。そういうわけだから、満足とか幸福とかいってみても、それはなんらかの苦痛、なんらかの困窮からの解放という意味以上のものではあり得ない。苦痛とか困窮といった場合、そのなかに含まれるのは単に現実的なあからさまな悩みだけでなく、煩わしさのためにたえず我々の安息がかき乱されるような願望もそのなかには入っているのであって、否、それのみならず、我々の存在を重荷として感じさせるところのあの殺人的な退屈感さえも、この苦痛、困窮のうちに含まれる。─
ところでしかし、なにか一つのことを達成したり、貫徹したりするのはじつに容易なことではないであろう。どんな企てにも難題苦労がはてしなく立ちはだかるものだし、また一歩ごとに障害が積み重なってくるものである。ところでいよいよすべてに打ち克って目的に達したとしても、それで手に入れることといえば、高々なにかの苦悩や願望から解放されたということ以外のなにごとでもあり得ない。ということは、苦悩や願望が出現してくる前の状態に戻ったというだけのことなのである。─
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